再生への旅

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zoom RSS 今日の以心伝心・永福寺涅槃会法要

<<   作成日時 : 2015/02/24 07:06   >>

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涅槃団子撒きたる雪の凹みかな 玉宗

本日二十四日は鳳来山永福寺の涅槃会法要です。

如月十五日は釈尊涅槃の日でもあります。お釈迦様の祥月命日。永福寺ではいつもお地蔵様の縁日に合わせて法要を執り行います。僧堂では涅槃会接心を行っているところもあり、坐禅を以って報恩の誠を尽くします。一般のお寺では涅槃会法要を催し、涅槃団子を撒いたりして、釈迦の遺徳に思いを馳せ、お粗末な自己の生き方を新たにする機縁ともなりましょう。仏教徒とはお釈迦様に生き方を習う人間のことでもああります。手本とすべき人生の先達がいることを幸いとしたいものです。


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 ところで私は一カ寺の住職ですがお山の大将ではありません。檀信徒が住職に期待しているものがあるでしょうが、お粗末ながらも少しは全うな人間として生きていきたくて、今日まで憚ることなくお坊さんをしてきたというのが正直なところです。人様の手本になるといったおこがましさもないことはありませんが、半ば開き直り、半ばあなた任せと云われかねない人生を送っているのが実際のところかもしれません。

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実に、お釈迦様の恩を思えばざんきに耐えないのではありますが、涅槃のころになると、お坊さんの存在価値といったものがあるのかないのか、私という人間の存在価値がるのかないのか、といったことを自問自答するようになります。遺教経という御釈迦様の遺言を読むたびにそのような心理状態に自然となるのです。


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 人間、生きている限り始末に悪いものではありますが、半端ものながらに今を限りのいのちを生きているには違いありません。これはどうしたことか?半端であるとか、ないとか、つまらないとか、つまるとか。偉いとかえらくないとか。そのようなことはほとけのいのちをもてあそぶが如き、妄想なのではないでしょうか。

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ありのままに今を戴いて生きる。それを涅槃に生ききるというのではないでしょうか。信仰をもった人生とは、よそ見をせず、涅槃のいのちを生きるということに目覚めた人生のことでもあります。私が私を生きる。仏が仏を生きる。涅槃が涅槃を生きる。生老病死を生老病死に任せていきる。それが成仏であるということだったのです。いのちお大事に。合掌。



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「春の風」

シャガールの女夢見る春の風

春風の手弱女ぶりに絆されて

如才なき男がひとり雛まつり

春の浜瀕死の波がうち寄する

源氏名を朧月夜へ誘ひ出し

拘りなく春の小川はさらさらと

後朝のつれなき空を鳥雲に

開け初めし空を白鳥帰りけり

よく働く能登の女の伊勢参

噛みあてし歯もて棒鱈引き千切り



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「あなた」

どこでもゆける春一番に乗れるなら

補陀落へ出羽の国より出開帳

不器男忌の面影うすきあなたかな

遍路道花のあしたの面影に

春火鉢煙草火ひとつ埋めあり

裏庭にバケツ転がる二月かな

筆立てに耳掻き一つ鳥帰る

晩年は意外と気楽鴨残る

畑打つやはるかな光り鋤き込んで

亀の声解り過ぎてもどうかと思ふ

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