再生への旅

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zoom RSS 今日の諸行無常・東日本大震災より4年

<<   作成日時 : 2015/03/10 18:21   >>

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雲の心水のこころや木の芽風 玉宗


東日本大震災から4年が経った。
未曾有の大震災からの復興はそう容易なものではないことは誰もが予想していただろうが、ここにきて歳月を経て見えて来た困難が明らかになってきている。先が見えないことの不安。それもこれも限られた人生の時間を思えばこそのことである。ひとの一生は長いようで短い。何かを為そうとするには短く、無為に流されて生きていくには長すぎる。

復興とは何か。
ものとこころ、人と自然、理想と現実、社会と個人。生と死。二律背反、表裏一体のいのち。いのち生きて行くとはこの真相に棹さしてゆくことにほかならないのだろう。明日の事は知れない、一歩先は闇の人生である。だからこそ自己の光明を掲げて生きて行かねばならない。なんと言われようとも人が生きていくとは現実を踏み台にし、人を踏み台にし、自己を踏み台にし、社会を踏み台にし、再生し続けていくことにほかならない。それは決して恥ずべきことではなかろう。

それにしても思い通りにいかない現実よと呪詛したい現実がある。踏み台にするとは奪い合うということではない。いのち支え合うということだ。支え合う存在の尊厳がある。いのちがある。人は一人では生きていけない事実。政治とは竟に支え合う智慧を実践することにほかならないだろう。人が人として支え合う。自己が自己として支え合う。社会が社会として支え合う。人の自立、、社会の自立とは果たさなければならない夢でもある。現実は夢が作りだすものだ。生きるとは現実を越えて行くことだろう。

夢の反対はなんだろうか。それはあきらめること。
諸行無常から人間が学ぶことの一つ、それは人生をあきらめないこと。自己をあきらめないことではなかろうかと思っている。なるようになってしまった現実がある。なるようにならない現実がある。時間に引き裂かれる現実がある。時間が癒してくれる現実がある。

時間とは何か。現実とは何か。
震災4年を迎えて、あらためてそのような自問自答をする私がいる。






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「春の川」

嘯きて花摘む鷽を叱りけり

ここに来て屈めともの芽出づるかな

芳しくない顔して猫の夫がゆく

挿木せし柳が風に傾きぬ

押しも押されぬ頭の悪さ目を借りぬ

春の家ときどき風に吠ゆるなり

消えなむ走る畦火のまた熾り

茎立やあの世へゆくに手間取りて

春の川おのれを透かし流れけり

春の海耳を塞いだ音のして

月は星に寄り添うてゐて冴返る



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「初音」

どうしろといふのか春の灯しゝて

鳥雲にこりこりこりと肩凝れば

見上げれば空は王国春一人

初音せりささやかながらはつきりと

永き日を捏ねまはしたる国生みの

忘れられぬ妻とのゑにし朧にて

春潮をさざ波立てゝ走る風

墓に来れば解ける春愁ありにけり

雲の心水のこころや木の芽吹く

三月の茶箪笥に手を差し入れて




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「春場所」

後ろ向く山に囲まれ麦を踏む

どうしても行かねばならぬ浪花場所

春場所へ能登の杜氏が行きたがり

ばたばたとあれよあれよと雉かな

春愁がいや増す花舗のあかるさに

草萌えて弥生の空となりにけり

云はれたる通りに生きて種を蒔き

春大根二番煎じといふ味の

春愁といふにはものを知り過ぎて

抽斗の中はでたらめ鳥帰る











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