再生への旅

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zoom RSS 今日の以心伝心・「親の心子知らず、子の心親知らず」

<<   作成日時 : 2015/03/13 19:11   >>

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雲の心水の心や木の芽風 玉宗


僧堂では冬安居の制中も開けて、雲水さんの春の送行、上山など解合の風景が門前でも垣間見える時季となった。不安と希望を抱いての送行であり上山である。弟子も四年目の僧堂安居を迎えようとしている。ついこの間、上山したように思い出されるのであるが、間違いなく彼自身の掛け替えのない歳月を経て来たのであるし、師匠も又、取り返しのつかない歳月の日々を送り今にある。

石の上にも三年、黙って十年、更に参ぜよ三十年と言われる世界であるが、さて弟子が今現在、どのような人生展望をもって生きていこうとしているのか。親のこころ子知らず、子の心親知らず。「知らず」というのも言葉のあやであろう。実際のところは知りながらも知らずと言わざるを得ない人生の厳しさがある。「以心伝心」がある。その仏道で云う「以心伝心」の「心」とは人情云々というな次元の話ではない。

親子や自他や人情に左右されない「心」がある。「諸行無常」がある。「仏法」がある。それが仏道の「以心伝心」の核である。
以心伝心のただ中で生死しているわれらである。自己の「心」を以って自己に相続するのであり、他己の「心」を以って自己に授受するのであり、他己の「心」を以って他己に伝法するのであり、自己の「心」を以って他己に嗣法するのである。以心伝心とはやりとりできる「心」があるという意味ではない。やりとりできないからこその「以」なのであり「伝」なのであるということ。畢竟、自己が自己に以心伝心するのである。諸行無常が諸行無常に以心伝心、嗣法、授戒するのである。

仏道とはその「心」に目覚め、極める道程でもあるといって過言ではあるまい。どのような社会でも自己を極めるとはそのような以心伝心の世界の様子を帯しているだろう。厳しくも、犯し難く、そして唯一自己が救われる世界。仏弟子の世界も又、そのような自立した人間をこそが求められていよう。それがまた親孝行の道でもあり、子孝行の道でもあろう。報恩の道とも言ってよい。それは窮まりのないものだ。窮りないからこそ「道」なのである。

その様な道に生きている自己を見捨てず、自己を見限らないでほしい。仏道が誘う、広く、こだわりのない世界へ歩みを進めてほしいとに願っている。


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「桃の花」

ひと束で足りるふたもじ摘みに出る

鳥曇り座席倒して空見れば

誰も来ぬ日向はさびし木瓜の花

蛤に足の固さの舌触り

桃咲くや人と別れて来し空に

まだ風の荒びを知らぬ木の芽和

味気ない人の世独活を好みけり

手際良き母の手になる木の芽和

がさごそと雲丹が蠢く舟の底

引き算より足し算たのし桃の花



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「みちのく」

みちのくの春や名ばかり海ひろがる

鳥雲に親を失くした子供たち

怖ろしき春の夢さへ三廻りの

亡骸を手に取るやうに朧なる

みちのくを思うて亀の鳴く方へ

土筆野に泣くや母恋ひ海を恋ひ

津波過の浜にいたどり芽吹きけり

梢吹く風の色にも春寒く

少しだけ背伸びす雁の帰るころ

雁風呂や見渡す限り津波過の



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「春の雷」

寝そびれしうつゝに聞ける春の雷

春雷のひとたび鳴いて遠ざかり

人の世に人は疲れて春しぐれ

嵯峨野なる都の奥や藪椿

接木せる生きてゆくのが癖になり

挿木して寝返りをする夜の風

手遊びに摘みしたらんぼ持ち帰る

蕗の薹土手にあかるい風が吹き

春灯や家に希望があつた日の

またひとり雪割草に来て屈む





















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