再生への旅

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zoom RSS 今日の諸行無常・「はらからの切なさ」

<<   作成日時 : 2015/03/19 18:18   >>

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天地に蒔かれし種の切なさよ 玉宗

能登半島地震に被災した次の年に、二つ違いの兄が事故で仕事先の静岡で亡くなった。
今年が兄の七回忌に当たり、北海道に住む義姉から家族だけ法事を執り行うので、了解してほしいとの手紙が来た。

丁度、再建勧進托鉢で大阪を訪れていたときだった。意識不明の状態が一週間ほど続き息を引き取った。空路で自宅まで運び葬儀をした。お寺の当てもなかった義姉に頼まれて函館市内にある、昔私がお世話になったことのある宗門寺院を紹介した。通夜、葬儀に駆け付け最後の対面をしたことである。

二人だけの男兄弟。頼れる兄ではあったが、まさか弟の自分より先に逝ってしまうとは夢にも思っていなかった。実家の家業を継がず、自分の選んだ道を生きていた兄であった。棺桶の中には昔と変わらない優しくもどこか寂しげな兄貴の顔があった。思えば兄弟、はらからとは切ない存在である。世に兄弟は他人の始まりというが、否が応でも、離れて暮らさなければならない者同士である。

血という見えないもので繋がりながらも、親子とのつながりとは違った遠さがそこにはた漂っている。赤の他人でもなければ、一体でもない間合い。それでいて、その存在が人生の歩みの上で頼りとなる。一緒にこの世に生きているという安心感。同じ親から生まれて、それぞれ別の道を歩んでいることの安心感。

そんな兄が死んで、義姉と甥と姪が遺された。
甥は結婚して子供もいる。甥とか姪というのは不思議な感覚の肉親ではある。義姉は他人であるが、甥や姪とは私と血が通っている。それを思っても思わなくても、自然とわが子のような親しみや愛しみが湧くのである。兄とは違うまさに他人とは思えない存在。見えるものだけではない。見えないもので繋がっている人間という存在。

二人とも現在ではそれぞれ自立して、母である義姉を支え励まして暮らしているようである。



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「霾天」

霾や知らない街に寝起きして

覚めてなほ旅の途中や霾ぐもり

ピリカなる名前の磯に遊びけり

野遊びの子を見てこころ足りにけり

鷹鳩と化して一日口籠る

墓石に水ぶちまけて龍天に

頼まれて留守居してゐる彼岸かな

遅き日の沖を見てゐる五六人

蓬摘む背なに波音聞きながら

春風や蒙古が裔の斑をなして



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「がつかりな数」

野良にゐる母を迎へにゆく彼岸

閼伽を汲む山里に聞く初音かな

一つづつ紅を尽くして落椿

がつかりな数が出てくる種袋

雨が来る風の匂ひや屋根替へて

金網に引つ掛かりたる石鹸玉

畑打の遅々としてゐて捗りぬ

開けてゆく空のにほひや種浸し

お伊勢参りも叶はぬ母となりにけり

ふるさとに生きる淋しさ畑を打つ

遠からぬ彼の世の土を耕せり



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「兄よりも」

その奥に海鳴り已まず藪椿

めぐり来る忌日めぐりくる朧夜

はくれんや風吹くたびに傷ついて

土筆摘む同胞ひとりづつ亡くし

面影や浜のいたどり沖を向き

八重椿くづほれながら落ちにけり

兄よりも長く生きたる草の餅

鶯や故山へ帰る由もなく

春やさびしも海辺に足を運ばせて

蓬摘む母がよろこぶ嵩ほどの




















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