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zoom RSS 曹洞の淵源・大河の一滴

<<   作成日時 : 2015/03/22 17:08   >>

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初音してからの消息杳として 玉宗

中日を挟んで前後三日間、大本山總持寺祖院の彼岸会法要に瑞喜した。
震災復興事業も本年度からは仏殿の解体改修工事に入るらしい。本来、回廊で結ばれている禅宗の七堂伽藍であるが、暫くは工事の関係で回廊を解体閉鎖されるだろう。法堂から僧堂へ巡る回廊は既に取り払われていた。

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中庭からは本来見えない「伝燈院」が丸見えである。「伝燈院」とは開山瑩山禅師の霊廟であり、本山が横浜・鶴見に移ってもここが祖廟のあかし。江戸時代の元禄六年に建立され、鶴見移転の契機にもなった明治の大火にも難を免れた建物の一つである。本山機能は鶴見に移ったが、ご開山の霊廟が能登の地に今も厳として存在している歴史的事実がある。宗門の大河があるのも永平・瑩峨両尊の淵源があるからこその流れである。

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釈尊、そして高祖太祖を尊崇するに吝かではない。
然し、いたずらに畏れ慄くのではなく、仏祖の求めたるところのものを些かなりとも志す意気こそが大事ではなかろうかと思っている。背伸びしたとてわが身以上のものが叶う筈もなく、以上のものを欲しがる用もないのである。生死去来を生死去来に任せる。仏祖と雖も自己が自己に承当したまでのこと。ただ、そのものでありさえすればいい。随流去とは今のいのちの事実の事だ。そこに淵源もあり、支流もあり、大河もある。自己を諦めることこそが仏道の初めである、終りであり、全てである。

不敬の誹りもなきにしもあらずだが、正直なところそれが報恩の誠であり、成仏と思っている次第。


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「彼岸」

行きずりのだれかれ近き彼岸かな

なにが起こるか解らぬ春の手を洗ふ

茶箪笥に眠る彼岸のぼた餅が

閑さうな鴉来てをり彼岸寺

ぶらんこの影宙に浮く彼岸かな

鳥雲に人後に落つることをして

貝寄風の空に高舞ふ鳶の笛

土筆摘むにはいさゝか年をとり過ぎて

ちようどいい影曳く春の入日かな

而して薺花咲くこととなり



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「春蘭」

桃咲くやその日暮らしのしづけさに

鶯の初音や空の開け初めし

八重なして肉の重さや落椿

明日よりもけふの蕨と手折りけり

山降りて雪割草を売る男

春蘭の煙るがごとき衣まとひ

大人になる別れも近きかもじ草

海光る浜大根の花陰に

空といふ涯なるものや木の芽吹く

よべ落ちし星のゆりかご水芭蕉


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「帰るころ」

ざはざはと桑の葉を食む蚕かな

転生もならぬ蚕の眠りかな

在郷は十二単衣も大ぶりな

花馬酔木風に触れ合ふ音すなり

はくれんの空また仰ぐ生きむため

初音してからの消息杳として

開けたる空の奥戸や彼岸過ぎ

雛人形納めたがらぬ妻なりし

龍天に仏弟子山に上りけり

少しだけ背伸びす雁の帰るころ














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