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zoom RSS 今日の諸行無常・「桜のいのち妄想」

<<   作成日時 : 2015/04/03 17:12   >>

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膝枕花に酔うたるふりをして 玉宗

お寺の桜も咲きだした。例年より少し早い初花かな。
ほんとは染井吉野より山桜が好きなんだけど、それは境内に植えてみてあらためて判明したことではある。染井吉野の花の白さはなんか、こう、冷ややかというか、狂気じみている、というか浮世離れしているというか、普通じゃないんだな、私に言わせると。

花の、勢いっていうんですか、ちょっと押されそうになるところ、一途さっていうんですか、そんな近寄り難さがあるよね。こちらが引いてしましそうな、ちょっと恐ろしくもあり、っていうのかな。

古来から桜には過剰な人間の思いが込められきたのにも故があるんだろうね。
その色合い、咲き具合、散り具合、空模様、風模様、人間模様が入り混じって、終いには生死観さえ加味されて、雅な世界にはそれなりの、戦世には戦世なりの、平成の浮かれ世にもそれなりの期待に応える花として人間社会に永らえてきた桜の木。ある意味、主体性がない。そして、なにも語らない花ではないかな。

花見にお酒が欠かせないのは、酔わなければ真向かうことができない桜の近寄り難さからかもね。そんな桜に癒されもするけど、なんか疲れるんだな。これはどうしたことかなと、ひそかに敬遠してきた向きも私にはある。まあ、花見の人混みを敬遠しているというのも理由だけれども。

その点、山桜にはまだ野性味がある。つまり自立しているんだね。染井吉野には人に本来近寄りがたいのだけれど、なんか寄り添いうことを強要されて来た、哀れさ、いやらしささえあるんだな。云ってみれば。重くれってやつだね。淡交と真逆な、いのちのかるみからは少し遠ざけたいような、存在感っていうのかな。嫌いじゃないんだけど、いつも生死の抜き差しならなさを背負って生きていく逞しさの足りない人間には、好きと言い切れない遠慮があるんだな。

と云う訳で、桜のいのちをかくのごとく妄想する私という人間のややこしさを証明したのではあります。



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「春の雨」

御堂葺く花を摘みに来たといふ

鳥はみな弥生の空の彼方へと

明日ひらく花に雨降る窓辺かな

歯が痛む憂鬱にあり三鬼の忌

鶯や雨も三日の木立より

悉く行きずりにして万愚節

うつらうつらと春の雨きく留守居かな

目借りどき夢をうつゝと感けては

遅き日を堪りかねては傘さして

白鳥の帰りし湖と聞くばかり


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「ひらく」

空ひらく輪島曳山春祭り

花はみな弥生の空へひらき初め

ここに来て遊べとひらくチユーリツプ

山吹の一重なれどもおおぶりな

侘助やものをおもへと花傾げ

杏咲き遊び足りない子どもたち

空とひらく花のかんばせ四月来る

初花やどさりとひらく時刻表

ぼうとして春の嵐に呑み込まれ

脈打てるふるさとの山入学す



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「ランドセル」

春風や母衣の如くにランドセル

夜を吹く風のすさびも初花の

雨ふゝむ八重山吹の枝垂れかな

花豌豆雨後を下校の子が通る

つばくらや空の奥より飛び出して

ものおもふ花は重たき椿かな

松の花夢もうつつも白昼の

忘れ去るための半生花すみれ

回覧板わすれないでね鳥帰る

無間地獄の手を差しのべて牡丹の芽



















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