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zoom RSS 今日の近況報告・第三句集名決定!?

<<   作成日時 : 2015/04/18 20:21   >>

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一人静と教はりたればしやがみこみ 玉宗

さて、一人狸の皮算用をしている風な句集刊行へ向けてのその後であるが、手本から離れて現在出版社と校正の段階である。句集名を公募なんかしちゃったわけであるが、こだわりの「其中庵」を止めて、「安居抄」とすることに決定した。実は「其中庵」は彼の種田山頭火が使っていた晩年の庵でもある。其の事は承知の上で私の句集名に採用したかったのであるが、編集長の指摘を受けて俄かにその辺の事情を説明したりなんかする場面が脳裏を瞬時に掠め、なんか面倒くさくなってしまった。という訳で即座に「安居抄・あんごしょう」に変更する旨を送送信し、事は収まった。この「安居抄」であるが、実はこれも以前に使用済みのもので、私が「風」賞を受賞した折の作品二〇句のタイトルでもあった。今からもう二〇年以上も前の話し。

「安居・あんご」はご存じのように、仏弟子が一定期間禁足して自己求明の弁道に専心すること。雨安居という言葉からも解るように、お釈迦様の時代に、雨季の期間、叢林、僧舎に留まり坐禅修行したことに由来しているらしい。日本では雨安居(夏安居)三ヶ月間と冬安居(雪安居)三ヶ月間の二度に亘って安居禁足が設けられるようになっている。モンスーン地帯と四季の環境にある日本とは自ずから修行の様子も変わって来たらしい。

それはそうとしても、田舎のお寺の住職となっては安居もなにもなかろうという見解もあるかもしれないが、そこはそれ、修行に窮りのない事実からものを言わせてもらうならば、なにも僧堂安居だけが仏弟子の面目を保証するものでないことは自明のことである。一か寺の住職となっても死ぬまで自己求明の道中であることにはなんの遠慮もいらない。

と云う訳で、句集出版という一見、仏弟子の安居とは縁もゆかりもないような世界に「安居」の名を冠せる仕儀とはなった次第である。そんな市堀玉宗という人間の俳句の世界を世に問うことで、いたずらに生きて来た人生の名誉挽回の一助となればこれに過ぎたる事はない。生きながら遺句集でもあるといった思いもないことはない。以上、句集出版への近況報告、ということで。お楽しみ・・って、誰も楽しみにしてないか。(^^)




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「都」

花筏閊へてゐたる都かな

花に酔ふ京都五条の橋の上

南座を出でてほどなく花人に

花冷へ襟を落せる舞妓かな

好きなやうに生きたる果の花守で

囀りのほかは音なき大伽藍

酒買ひに小僧走らすさくらかな

初蝶や袖に引かるゝやうにして

生き死にの声ある花に疲れけり

菜の花や都へ続く塩の道


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「夜桜」

夜桜の足にまかせて先斗町

花筵尻に敷かれてをりにけり

花衣ごくごく水を呑む女

花衣蘇芳が色を襲ねては

逃水や昼は情夫と成り下がり

春ショール妻が女になるときの

春日傘三行半の日和かな

舞妓なる花と契りし肌かな

花篝芝居染みたる京の夜

雪洞に灯のつく花のゆふべかな




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「幾めぐり」

儚さの花の下にも幾めぐり

すれ違ふ春闌の顔をして

盲ひたる田鼠鶉と化して飛ぶ

青き踏みこころざわめく日なりけり

花冷や遠くに子ども遊ばせて

おもかげや弥生の空に一人生き

而して春も終りの肘枕

父といふ春夕焼のブーメラン

旅をせぬまなこや春を惜しみけり

夢食うて勢ひ余り春を躓く

独活浸す水の夕べとなりにけり

青空を呼び戻してや花かりん

馬鈴薯をこの世の涯に植うるかな











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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 いえいえ、心から楽しみにお待ち致しております。「安居抄」の発刊、あと少しの間でしょうか。俳句を拝読する度、玉宗さまの想いを色々と想像し、ストンと納得できたり、よく理解できなかったりの繰り返しですが、能登への憧憬が膨らんでおります。やさしいところと厳しいところのある能登の風土が玉宗様を磨き、多くの俳句を生み出す原動力にもなっているように思えます。
 発売の折には詳しいお知らせを、お願い致します。
みどり
2015/04/19 17:02
ははは、楽しみにしています。
花てぼ
2015/04/19 21:52

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