再生への旅

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zoom RSS 今日の蟷螂の斧・象徴という名のもとに

<<   作成日時 : 2015/04/21 19:56   >>

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木瓜の花いのちうすうす寄り添へる 玉宗

先日、NHKの総合テレビを見ていたら戦後70年をシリーズで検証する特集番組が放映されていた。その日は天皇がテーマであった。昭和天皇、そして平成の今上天皇が取り上げられ、天皇のあり方から日本の近現代史、過去現在未来といったものへの照射が試みられていた。

天皇制については現在でも様々な認識、論議があるのだろう。宗門に於いては戦前まで「今上天皇牌」が本山はもとより地方の一寺院に到るまで安置されて来た筈である。天皇家と仏門との所縁は長く、深い歴史がある。身近では門前の總持寺には後醍醐天皇牌が今も安置され、天皇殿、勅使門といった名も残されている。又、勤行の回向文にも教祖はもとより、今上天皇の名が記され、仏法興隆と共に国家の安泰、皇風の尽未来際の安寧が祈願されていた。

戦後、一般寺院ではそう古くもない頃からそれも改変され、位牌の安置も敬遠するようになったようである。政教分離と同様に扱うことは許されないだろうが、宗教がそうであるように、天皇もまた政治に直接的には関与できない日本社会とはなっている。否、政治だけではない。宗教と天皇の関わりさえも否定されているかのような現代日本の風景ではなかろうか。まるで一切の社会的諸条件から敬遠されているかの如き天皇。

戦後、現人神から人間宣言をされた天皇。
日本国憲法によって、つまり主権者たる国民の総意によって天皇は「国の象徴」ということになった。学校で学び始めた時は「象徴」とはなんだろうとよく思ったものだ。分かったようで解らない「象徴」。人間宣言をした筈の天皇ではあるが、どこか「人格の否定」を前提にその存在を認められているようなところがあることを私などは否めない。人格を超越しているとでもいうような。象徴とはつまりそういうことなのかとも。

天皇と云えば、国民へ手を振るか、慰霊の旅やお見舞いの旅でなどで、いつもお辞儀をして国民を代表して謝っているかの如きお姿が思い浮かばれる。戦争を知らない世代の私ではあるが、私などはそのような映像を見るたびになんだか泣きたくなることがある。胸が熱くなるというのか、なぜか知らんが、切なくなる。恐らく加齢の所為ではなかろうかとも思うのだが、それにしても、それはいったいどうした心理状態なのだろうかと、ふと思うのではある。私のような採るに足りない一介のお坊さんの胸に去来する天皇という存在の切なさとは。

番組の中でも識者が指摘していたが、「象徴」というものへの内実が歴史と共に備わってきたのではないかということ。歴史と共に「象徴」という言葉に齎された内実。言葉が先にあった。天皇もまた言葉と共にあったという事実。「象徴」に「天皇」を学び、「天皇」に「象徴」を学び、「象徴」に「象徴」を学び、「天皇」に「天皇」を学ぶ過去、現在、未来。それこそが日本という国のかたちなのであるということ。人間宣言をした天皇ではあるが、人間であるからこそ神話は今も作り続けられているとも言えよう。

語弊を覚悟で云えば、そのようなことは非人道的というより、如何にも人間らしいことではなかろうかと私などは思うのである。それは天皇とは国家の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということと決して矛盾はしないであろう。否、矛盾こそが人間らしさの証明ではないか。矛盾をありのままに抱えて生きている存在者。その潔さ。その切なさ。その無力さ。その公平さ。そのわたくしの無さ。それこそが私を涙させる象徴という名の存在の然らしむるところなのであろうかとも思うである。




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「ちょいと」

一人より二人淋しき静けさの

身を捨つる谷の深さよ山桜

八重なして風にたゆたふ桜かな

いたどりに負けじと蕨背伸びして

逃げてゆく春筍を蹴飛ばして

柳さへちよいと芽を吹く女かな

すかんぽや幼馴染も郷を出て

マーガレット恋するやうに風吹いて

山茱萸の花がもやもやしてをりぬ

舞ひ上がる胡蝶とみれば落花かな




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「穀雨」

折からの菜種梅雨なり眠るべし

春深く手を拱いてゐたりけり

切株の愚直に濡れし穀雨かな

しとどなる雨も三日の八重桜

やはらかき母の二の腕花ミモザ

呆けたる母を背負ひぬ花大根

もの思ふ花のかんばせ落椿

白木蓮の空見るたびに傷ついて

うち仰ぐ空の奈落を糸桜

雪柳ひときわ光り西の京

花と咲く傘を回して一年生


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「辺り」

女一人花の京都を逃れ来て

ちゃいますねん京は野蒜も買ひますねん

京女能登の筍蹴飛ばして

奥能登のその又奥の代田掻

能登沖を胸の高さに畦を塗り

鶯や呼べば応へる辺りより

木瓜の花命うすうす寄り添へる

蝦蟇出でて大凡そこら辺りより

水芭蕉音なき水の調べあり

水芭蕉己が葉陰に眠りをり







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