再生への旅

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zoom RSS 興禅寺釈尊降誕会

<<   作成日時 : 2015/05/17 16:27   >>

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風薫る仏生れて来る日の 玉宗


五月十六日は興禅寺の釈尊降誕会・花まつりでした。
能登の五月は春と初夏の花が咲き競って明るい。風薫る花のかんばせに囲まれての花祭り。お釈迦様の誕生に相応しいと感じるのは日本と云う四季豊かな仏教国ならではの感慨でしょうか。

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仏生会は生れ合わせたいのちの奇蹟に思いを馳せ、いのちの尊さを花の輝きになぞらえています。それはそれで相応しい事だとは思うのですが、さて植物にとって開花とは実を結ぶ為の一段階に過ぎません。掛け替えのないいのちの花と咲く今があります。植物のいのちとは種が地に落ち、芽を出し、花を開き、実を結び、枯れて、地に還り、再生へ循環を期する虚しさを身上としています。いのちという諸行無常。わたしのいのちも、花のいのちも、虫のいのちも、そのような循環の只中での一期一会であり、人の一生、そして人の世の出会い、別れもまたその例外ではありません。


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芽を出す今。花と咲く今。花と散る今。枯れてゆく今。地に還る今。老若男女の今。生老病死の今。迷悟の今。一切皆苦の今。さよならだけが人生の今のいのちがあります。生れて来た尊い因縁ではありますが、人生は生れて来ただけで済まされません。いのちにとっては生がそうであるように死も又尊いものであります。初中後、全てが等しく尊い。いのちの尊さとは畢竟今を限りの尊さにほかなりません。


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本来的に貪ることも嫌がることもいらない。比べることも比べられることもいらない。留まることも逃げることもいらない。いのちはただそうあるだけの筋合いのものです。そのような諸行無常の眼に映るこの世の花の美しさがあります。美しい花の世と感じている諸行無常のいのちがあります。いつともしれぬ、やがて死にゆく旅の途中の眼差しがあります。いのち合掌。

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今回のお花祭りでは興禅寺の側にある輪島警察署の所長さんにお話をして頂きました。町内の有志・お話を聞きたい人を招待して檀信徒さんにお話をして頂く企画の第一回目でした。参詣者に喜んで戴いてなによりでした。次回をお楽しみに。

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「なんと云ほうと自由律です」

誰がなんと云ほうと薔薇で押し通すのでしょうね

さつき妻が買ったのと同じアイスを下さい

その子ならあそこで草を毟ってゐますよ

もう殆ど病気ですね夏も目に入らないのですから

申し訳なさそうに昼寝から帰って来たところです

金輪際夕焼に染まるのは御免だそうです

まあ色々あってなんぼの五月でしょうか

躑躅の蜜を吸ってなんとか生き伸びでゐます

いっせいに鈴蘭が鳴る丘に昇天しましたとさ

父を敬ふに吝かではない不在ですから

私だけが汗を掻いてなんだか恥かしいですな

母といふ夏の大河がああしろこうしろと

海亀に乗って帰る午前様ですね


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「童」

生贄のわが子を探し不如帰

草矢打ついつかは親の手を離れ

わらんべを生け捕りにして夏祭

なけなしの知恵がじゃらじゃら小判草

はんざきの鵜呑みにしたる童かな

夕焼に濡れそぼちたる童子仏

卵生もならぬ裸子まぶしめる

街道をのどかに葵祭かな

蝙蝠や子を捨てかねて背ふなり

菩薩みな童顏して練供養

天蓋の上に犇めく燕の子



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「心地」

鼻につく妻のにほひや夏めきぬ

片づけてきれいさつぱり夏座敷

狂ったやうに犬も喜ぶ夏の浜

花茣蓙に浮いた心地で坐るなり

藺座布団抛りだしたるやうに置く

預かりし赤子ころがすたかむしろ

自戒せし僧にあてがふ竹婦人

簾して凡そ天下に用のなく

涼しさを跨ぐ燈籠琴柱して

沖よりの真青な風を通しけり

蠅叩父に持たせてやりにけり

昼寝覚生きた心地がしてならぬ



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