再生への旅

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zoom RSS 今日の百尺竿頭・何かを得たいなら何かを捨てる?!

<<   作成日時 : 2015/06/03 20:30   >>

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睡蓮を巡る頭の悪さあり 玉宗

NHKの朝ドラ「まれ」が面白いね。
舞台は横浜へと重心が移ったようだ。先日の放映では、大吾オーナーシェフがまれに言ったことばがこのドラマの一つのテーマなのだなあ、と思ったものである。それは「夢を叶えたいなら、何かを得たいと思うなら何かを捨てろ!」といったような一言である。

わが身を顧みるに、社会人となる一歩に大いに迷ったものである。「夢」を抱くどころじゃない。「社会」とは何か?「社会人になるとはどういうことなんだろうか?」「社会人として生きていけるのだろうか?」といった身に覚えのない将来への不安、生きているの今の現実感の希薄さに懊悩していたものである。「何かになりたい!」といった夢さえもが、現実感、リアリテイーのない代物だったのを覚えている。

要するに未だ自立できていない田舎者の所業だったのである。凡そ、子どもを社会へ押し出すことは親の大事な責務の一つなのだと、この歳になって気付かされるのである。私の親が、親として無責任であったとは思いたくないが、働くことで精一杯だったとしか見えなかった両親。その両親から受けた愛のかたちは過保護であったのか、或いは放任であったのか。子供を育てるとはつくづく大事業だとは思う。親孝行とは子が自立すること以外にはなかろう。親も又、親として自立することが子孝行なのでもあるということ。

親子とて諸行無常の、一期一会の命、出会いを生きていることに変わりはない。お互いがそれぞれの人生を試されてはいるのである。そのような人生に抱く「夢」。私は何を得たかったのか?私の「夢」は何だったのか?もしかしたら、この歳になるまで自分の「夢」を創り上げる道程であったのかもしれないと思ったりもする。

結果としてかどうか、人生の巡り合わせ、人生の道中で「お坊さんになる」という「夢」を抱くことになるのであるが、それは言いかえれば「生まれ変わりたい」といったささやかながらも抜き差しならない「夢」ではあったのである。そして、それなりにその夢を叶えた訳ではあるが、さて、私はこの夢を叶えるために何を捨てただろうか。家を捨て、家族を捨て、名誉を捨て、社会を捨て、欲望を捨てようとはした筈である。今の私はそのような夢を叶えているだろうか。そのような夢に生きているだろうか。捨て切ったのだろうか。私の夢は本物だろうか。

俳句も仏道も中途半端ではないのか、といった自責の念に魘されることもなしとはしない。そうではあるが、これがありのままの私であることも紛れもない事実ではある。私の俳句、私の仏道、俳句の私、仏道の私。私は私という捉われの世界にしがみついているだけではないのか。私という百尺の竿頭にしがみついているのではないか。何かを得たいなら、何かを捨てる。何かを受け入れたいなら何かを捨てる。空っぽにならなければ何も入って来ない。満ち足りることはない。捨てるとは施すことでもあろう。身を捨て、身を施し、心を捨て、心を施し、ことばを捨て、言葉を施し、ものを捨て、ものを施し、生を捨て、生を施し、死を捨て、死を施し、悟りを捨て、悟りを施し、迷いを捨て、迷いを施し、夢を捨て、夢を施す。

拘るべき私とは畢竟ひとつの妄想であることに目覚めなければならない。われなくてよかりしこの世に涼しい風が吹くのである。仏弟子として生き死ぬこと。俳人として生きしぬこと。それ以外の本望はないと知るべきなのだ。私なりにそのような夢の総決算である答を出さなければならない。半端ながらも、ふと、そんなことを思うのである。



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「淡交」

麦秋や空碧くして帰らざる

桑の実を摘む望郷のいつよりぞ

日本海の風を仏間に通しけり

仏弟子の風を着こなす更衣

よき風のあたるところに夏ひとり

初蛍見に行かぬかと妻のいふ

蠅が来て五体投地の尻を嗅ぐ

夏茱萸を仰ぐわが夏老いにけり

人を待つこころ宥めて水打ちぬ

襖一枚外しただけや夏座敷

淡交の人を送りて涼しさよ



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「難儀な一日・二十句」

のびやかに夏鶯や朝を鳴く

一日を薄暑の妻に連れ添うて

薔薇の香の年増盛りに噎せ返る

睡蓮の今が見ごろといふ風に

佳境なら疾うに過ぎたる葱坊主

紫の飛燕をなして杜若

海を来て早苗靡かす風となる

引き際を心得ぬ蠅叩くなり

夏茜追ふには年を取り過ぎて

蓮池をめぐる難儀な一日の

青梅のまぬがれがたく杳として

厭になるほど満足したる昼寝かな

花とべら遠海鳴りに散り已まず

日に濡れて油染みたる柿若葉

山越える二番蕨を摘みながら

手折りたる梅花空木を笠に挿し

簾垂らすくらゐのことはせよといふ

妻と同じアイスクリームを所望せり

回覧板忘れないでと夏蝶が

仏滅とも思へぬ宵の水を打つ



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「隅つこ」

菖蒲湯に手負ひの父を浸けてをく

白玉やわたし一人の母の味

冷奴男勝りの味がして

困るほどくれてゆきたる実梅かな

尻叩く手もて瓜揉む母なりし

夏柳面影橋の袂にて

梅雨に入るさざ波ほどの火を使ひ

真ん中より隅つこにゐて梅雨寒き

漆黒の闇と契りし鵜なりけり

鵜匠いま人身御供の顔をして



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