再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の一期一会・立つ鳥跡を濁さず?!

<<   作成日時 : 2015/06/06 19:27   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


開山の坐りし石の涼しさよ 玉宗

不肖市堀玉宗、今年は還暦の年であり、興禅寺住職となって25年目、能登半島地震被災本堂復興再建5年目となる、まあ、言わば節目の年なのである。というより、何故かしら節目の年にしたいという思いが強い。
この歳まで生きながらえてきたことに、茫然自失もするのだが、一方で、生きながらえて見えてくるもの、気づかされるものが少なくない。

今までは、若気の勢い、馬力に任せて生きて来たかの如き観のあるわが人生山河。生き先も解らぬままに、しゃにむに、五里霧中に、行き当たりばったり、曲がり真っ直ぐ、野を越え山を越え、山を降り野に下り、そして、今ここに生きている私。そこには有頂天から娑婆へ降りて来たかのような絶望にも似た安堵感があった。

生れて生きて死んでゆく。ただ、それだけの人のいのちを、われながらまっすぐ戴いて勤め上げる。自己は自己になり、落ち着き、解放されるためにこの世に生れ落ち、生き、立ち去らなければならない。諸行無常、儚さを身上とした仏のいのち。永遠に繋がるために避けて通れない命の儚さ。過ぎてしまえば、そして振り返ればあってないかの如き光陰、人生。

終活などと事改めて言うつもりもないのだが、人はだれでも生れて以来「終活」を義務付けられているような存在ではある。四大五薀としてこの世に産声を上げ、四大五薀として生き、四大五薀として死という最後の施しを実践しなければならない。死というお勤めを潔く勤め上げること。生を貪らず、死を貪らず。ありのままに諸行無常する。人生とは自己が自己に尽くし、施し、供養する道程でもあろうか。儚く、取るに足りない我ながらも、疎かならない今を戴いている事実は誤魔化しようもなく、比較しようもない。

還暦に齢に辿りついて、このような感慨を抱くとは若いころには想像だにしなかったことである。今の私がここにあるのも、多くのご縁の中で生き、生かされて来た現実の賜、因果歴然、自業自得、一期一会があろう。それは私の思いを越えて遠くからやってきた自然さがあり、有難さがある。私の都合や分別を越えて去来した絶望があり、救いがある。

報恩という言葉がある。
この世に生き生かされてきたことへ感謝の念を以ってラストスパートができたら幸いだ。立つ鳥跡を濁さず。さて、半端ながらも、憚りながらも、そしてお粗末ながらも、残りの人生、どれだけのことができるだろうか。どこまで自己を解放し、施し、無にすることができるだろうか。そんなことを思量している昨日今日なのではある。




画像


「黒白」

モリアオガエル荒神池に孵りけり

萩若葉退けとばかりに風吹いて

竿売りの声喧しき夏安居

あぢさゐや顔を洗つて出直せと

黒南風の沖に影なす竹生島

馬鹿正直に咲いてしまつた花南瓜

夏柳日差し愈々容赦なく

鍵かけぬ田舎暮らしの簾かな

ひそやかに落ちて知らるゝ柿の花

白南風や雲裂いて雲押し分けて



画像



「愛」

愛よりも憎むは易し桜実に

望郷やじゃがたらの花咲くたびに

愛うすき雨にけぶれる忍冬

おぞましき栗の花影昼寝覚

ががんぼのもたつく部屋に愛し合ふ

蛇擲てば愛に狂へるごとくなり

虹立つも愛といふにはべらぼうな

桑の実のいさゝか愛の足らぬかと

端居より戻りし妻が愛を語る

愛よりも餌を欲しがる金魚かな

昼顔の誰か来る音してひらく


画像


「地」

蓑笠に芒種の雨を戻りけり

市中に地のものを買ふ芒種かな

門に出て芒種の鎌を砥ぎをりぬ

剃髪の鏡に光る夏日かな

緑蔭に置きたる如く籠堂

夏雲の揉み合うてゐる大伽藍

安居僧らしきが列に並びをり

明日は働くことにして日の短さよ

困つたやうに蟻が働く地ベたかな

声かけてみよとばかりに日傘して

栗咲くと思へば湧きだし垂れ込めて

茄子咲くや千に一つの夢叶へ

桑の実摘むたわゝな枝を引き寄せて



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の一期一会・立つ鳥跡を濁さず?! 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる