再生への旅

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zoom RSS 今日の教外別伝・人間到処有青山

<<   作成日時 : 2015/06/12 17:32   >>

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舞ひ降りてきたるしづけさ花菖蒲 玉宗


先日、金沢百万石まつりの日に夫人と金沢へ出掛けた。
祭りが見たかった訳でもなく、夫人が茶花展を見たいということで付き合ったのである。市庁舎近くのビルの二階でそれは催されていた。畳敷の部屋は大勢の見物人でごった返していた。凡そ、茶席にはそぐわない盛況ぶりである。それでも我慢して夫人と二人、膝を付いたり立ったりして一回り見物した。写真はNGということで紹介できないのであるが、結構私の知った草花が活けられていたのには以外ではあった。

その後、展覧会場を出て、昼食をとり、煎茶礼式の茶会が催されている尾山神社へ向かう。茶花もなんだが、夫人の目当ては自分も習っている茶席だったことに気付く。まあ、目くじらたてることでもないので、私も同席。
お坊さんということで正客の座に畏まることになった。夫人は恐縮していたのだが、茶席についたこともない私は遠慮することもなく、勧められるままに座についたのである。

世の中の人は禅僧たるもの茶席の経験が豊富だろうと思われるかもしれないが、私は殆ど記憶にない。こう見えて畏まった席というのがどうも苦手なんである。禅堂の畏まりならまだしも、どうも、あの、茶席の畏まり様には付いていけない行儀の悪い人間なんである。まあ、そんな言い訳はどうでもいいとして。
亭主っていうんですか、その方がもてなして下さるのであるが、掛け軸の謂れなども説明していただいた。宗匠の筆になる「富貴在和合」という半折が懸けられていた。亭主の説明は置いとくとして、なるほど、人と和合できない人間に富貴、品格のありようがない訳だと、わがこととして納得したのではある。

その後、別室で番茶席。そこには「到処青山」という四文字の色紙が懸けられてあった。どこかで聞いた言葉ではあった。やはり、亭主の説明があり、「青山」にお墓という意味があることを知った。私はてっきり俳句でも使われる「青山河」「青葉滴る夏山」に象徴される、人生の佳境、今、ここの一大事といった禅語の解釈を抱いていたので、亭主の説明には正直、些か面喰ったのである。

因みに、大辞林 第三版の解説によると、
【人間到る処青山あり】〔幕末の僧,月性(げつしよう)の「清狂遺稿」による〕 人はどこで死んでも青山(=墳墓の地)とする所はある。故郷を出て大いに活躍すべきである,との意。 〔「人間」は「にんげん」とも読む〕、ということらしい。
なるほど、それも悪くはない。まあ、私の解釈も要するにそういったことではあるので、結果オーライということで亭主に喰いつき、突っ込むようなことはしなかった。

聞けば、煎茶礼式の宗家は臨済で修行もされた御仁らしい。禅の極意を以って一家を為しているのだから、私如きが太刀打ちできるはずもないし、する気もないのでだが、茶席という世界から禅へ、又は禅から茶席の世界へという生き方があるのだということを改めてしらされはしたのである。

思えば、かたち、威儀を大事にする宗門ではある。正直なところ、坐禅、仏道という威儀以外は見下して生きて来たのではあるが、茶席も又、人生の一大事因縁、一期一会であるには違いなく、意味もなく敬遠するのも愚かなことではあった。これからは夫人に誘われたら喜んでくっついていこうと思っている次第。自分から誘ってくれとは言わないけれどね。流れに任せて、暇があったら、ご縁があったらの話しではある。

私にとって茶席などというものは贅沢な時間なのである。そんな事している暇などないといった思いから抜け出ることができるかどうか・・・・。然し、無駄な時間といったものはない。贅沢な時間などといったものはない。拘りといった狭く貧しい世界に生きている私がいるだけなのである。ん〜、あとは夫人次第だな、これは。ちがうか?!



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「顔をして」

免れし顏して門に涼みをり

昼寝覚め憑きの落ちたる貌をして

緑陰へ首を失くした顏をして

猫の子が親を失くした顏をして

蠅叩く刹那愚かな顔をして

昼顔の聞きとどめたるかほをして

殺めたる貌し虎尾草下げ来たる

揚げ花火銀河をめぐる旅の途の

行乞の雲の峰へと続きをり

立葵残照いよゝ容赦なく

雲の峰うつろに今日も家を出て

栗の花花といふにはおぞましき



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「雑詠二十句」

よき風の当るところに夏ひとり

淋しからめと十薬咲いてくれにけり

舟が入る音してゐたる昼寝覚

まなざしに老いの兆しや雲の峰

うたた寝す妻やさゝらな風通し

日を呑んで蛍袋の仄暗き

身を捨つる谷の深さや朴の花

夕顔やわが半生を見かねては

青林檎拭くべき袖もなかりけり

立葵村を出てゆくものばかり

河骨の風に生き死にありにけり

虎尾草や役行者の道のベの

夏蝶来躓きやすきわたくしに

いつせいに鷺草の今逃げまどひ

栗の花風にさぶろふかたちして

花石榴処女の鮮血鏤めて

生まれ変はる旅の涯なる昼寝覚

梔子のまだ紐解かぬ文の色

金糸梅ひとつふたつと灯りけり

見下げたる顔してバナナ叩き売り


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「慌てない」

生贄に差し出されたる浴衣かな

すてゝこや厭になるほど生きてきて

単帯解いてごらんといふ風に

藤椅子に今も居坐る心地して

蛍見へさっさと夕餉済ましけり

稀にみる碌でなしなりサングラス

慌てない風に着こなす夏衣

水打ちて蛸壺ほどの路地暮し

牛冷す分け隔てなく生きて来て

水喧嘩人が変つた風にして

闇よりもか黒き水を盗むなり

雨乞に借り出されたる宿六が

丸めては抛り投げたる二番草























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