再生への旅

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zoom RSS 戦争とお坊さん・再掲

<<   作成日時 : 2015/06/24 18:50   >>

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手つかずの夢がまだあり草いきれ 玉宗


政教分離という概念はいつごろからのものだろうか。
戦争とお坊さんを考えるに当たって先ず、そのようなことが脳裏を去来した。それはおそらく、日本の歴史の中で、宗教が政治と深く、そして陰に陽に関わってきた負の遺産からの清算を期してのことだったのではなかろうかと思うからである。

生きるとは具体的なことである。争いを好まない、あるいはする理由のないお坊さんが戦争と云う国家の一大事に安閑としていられるかどうか。安閑という言葉は適当ではないかもしれないが、お坊さんも又国家の一員である。太平洋戦争に於いてお坊さんも又戦地に赴いた事実がある。敵国の兵士を殺傷したりもしたであろう。非国民と呼ばれながらも不服従、無抵抗、非暴力を貫いて獄舎に入った者もいただろう。

国家とはひとつのかたちである。
それはひとつの文化でもあろう。深く広く耕すことが理想の政治という力学がそこにある。国家という組織を維持するに期待されるべき欲望の充足への道程がある。支え合いと奪い合いがある。これはほとんど宿命的なものであろう。
お坊さんと雖もそのような国家国民の恩恵と庇護と批判と放任を些かなりとも受けている。宗教もまたひとつの文化である。だがそれは本来的に、国家と云う文化とは違う次元、領域、土俵上での話である。つまり、ひとりひとりのいのちの話しであり、生き方、今のいのちの戴き方の話であろう。

人生には様々な目的がある。というより、人間が目的を欲している風でもある。平和とか戦争とか、正義とか名分とか進歩とか、国家とか神とか。目的は創り出すものか、見つけ出すものか、一体となるものか、なくてはならぬものなのか。それは喰う為に生きるのか、生きるために喰うのかという双頭の蛇的な、矛盾に満ちた慄きを伴ったりする。つまり、理屈を越えた不条理と言える衝動、本能的といっては済まされないかもしれない形而下にして形而上の命題。生きることが目的なのか。争うことが目的なのか。喰うことが目的なのか。或いはすべてに何かのための手段なのか。存在とは何かを得なければならないということなのか。そうではなく、存在とはすでに一つにして絶対的な恩恵ではないのか。

平和を目的に戦争をしなければ済まない人間の欲望がある。
戦争は手段であり、平和という目的を実現するための必要欠くべからざる条件であるかの如くである。人を殺すのは平和という目的を正当化するための手段に過ぎないのだという。というより、それは手段を正当化するための目的ではないのか。否、もっといえば、真相は目的も手段も正当化という欲望の化けの皮なのではないのか。
目的を達成するために手段というものがなければならないというのが世の常識である。目的と手段は切っても切れないかの如くである。

切っても切れないとはどういうことか?目的はそれ自体としてあったりなかったりするものではなく、手段との関わりのなかで生じたり滅したりする筋合いのもののようである。目的と手段。それは両足を使って歩みを進めることに似ている。「〜のために」という正当な要求には枚挙に暇がない。おそらく人間の欲望の数ほどあるのではなかろうか?それ自体は別に驚くに値しない。「禅」といえば「悟り」がつきもののようだが、悟りを目的とするのも欲の世界の話であろう。迷いがそうであるように、世の中には自分持ちの悟りに汲々諾々としておられる方もおられる。欲が悪いと言っているのではない。欲にもいろいろあるということだ。

仏道の最終にして本来の目的、それは自己に落ち着くことであろう。
欲望の充足だけではなく、欲望を調えることによって展開する自己の世界がある。自己をむなしくすることによって救われるいのちの実際がある。目覚めがある。安寧がある。そのような本来の自己とは相入れない目的や手段の乖離。余りにも私的な領域で右往左往せず、ジタバタせず、身と心を調え、まっすぐいのちを受け入れること。その手段、手掛かり、歩みとして「行」というものがあるのだと思う。寝ることも、顔を洗うことも、ご飯を戴くことも、挨拶することも、学ぶことも、自己を空しくすることも、生老病死、すべてそのような誌的にして公的なる自己の世界の荘厳である。荘厳、つまりありのままの輝きを放つということ。

さて、お坊さんは戒に生きている。戒律とは自己を戒め、律するものである。自律、他律相まって和合の世界を現出させるという期待が込められてもいよう。不殺生戒とは殺生をしてはならないということではあるが、私の存在はなにがしかの犠牲と生贄、殺生を為してのものである現実がある。生きているということは既に殺生をしているということでもある。そのような存在者の不殺生とは何か?お坊さんの世界での善悪というものを考えなければならない。出家して、欲望の世界を越える生き方を志向している仏弟子にとっての善悪といったものが自ずから存在する。私のないところを目指す仏弟子の第一義とする人生の価値観といったものが必然的に派生してくる。

何故、人を殺してはならないのか。何故自死してはならないのか。それは他者を殺めてまで自己が存在する理由がないからだ。同じように自己の命を自ら抹消する理由がないからだ。そこには私のいのちというものが私の恣意でやりとりできる筋合いのものではないという厳然たる事実認識がある。私とは、いのちとはそのような狭いものではないといった世界の把握、一体観がある。私がいてもいなくてもなんともない世界の荘厳がある。無がある。有がある。空がある。諸行無常がある。無執着がある。全機がある。

争いも、貪りも、怒りも、戯論も、淫りがましさも、誹謗も、増漫も、欲望の彼岸であるいのちの清浄さからは程遠い、なんの役にも立たない代物であることを知らねばならない。そこに世に云う善人悪人もない。世間の善悪を越えた一大事がある。如何に況や、政治に於ける正義や善悪をやである。今日の正義は明日の不正義になるやもしれぬ。当に善悪は時である。時は善悪ではない。それはつまり、いのちは善悪ではないということだ。本来的に、まっさらないのちの清浄に気づき、まっすぐ戴くことの一大事がある。あなたも、私も。そこに国家の垣根や人種の垣根など有りはしない。まして思想の垣根など予想外にもほどがある。

いのちはただ、ひたすら清浄なるもののみだ。仏弟子とはそのような自己の真相、いのちの真相に人生を賭けているいるものの事を言う。国家が戦争を選択したとき仏弟子はどうするべきであるか。そこには世間と同じように、様々な国家への寄り添い方が現れるであろう。お釈迦様はお生まれになった王国が紛争にまきこまれた時も、菩提樹下での坐禅を止めることはなさらなかった。そのような態度こそが釈尊の理想の国家観だったとも云えなくはなかろう。争いは争うを以って已むことはない。恨みは恨みを以って已むことはない。自らが煩悩の炎を消すことによってしか失くすことはできないという信念がそこにはある。そのような仕方で仏弟子は社会へアプローチする。社会へ返って来る。国家の一員となる。

世界にはローマ法王やダライラマなど政治的な発言力を持つ宗教家がいる。日本にもそのような力量を持った宗教者がいるのだろう。今、ここでの私は政治的にはなんの力も持たない人間の話である。そういうお坊さんの常套手段にし理想とは、身にも心にも武器を持たず素手で生きていくという見解に尽きる。お坊さんもまた生身の人間であると開き直ってみたところで、何にも云わないに等しい。お粗末ながらも、諦めず善悪の彼岸の理想を掲げて生きていかなければならない。

国家とは竟に有象無象を囲うひとつのかたちである。世の一隅に、戦争の役にも立たない仏弟子がいるとことを神も咎めることはできないだろう。国家が政教分離を云うのは宜しい。願わくば非常時に於いても、日常に於いても犯すことのできない聖域であることを認識して貰いたいものではある。結論として、お坊さんは自ら進んで武器を手にすることはあり得ないと言うべきである。





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「遍歴」

夏至といふ幕の上がりし楽屋裏

水無月の海に音なき日照りかな

われ知らぬ妻の遍歴洗ひ髪

去りがての門に佇む夕立かな

夕焼に凡そそぐはぬ父なりし

翳のある男についてゆく日傘

西日して仏のほかは誰もゐず

羅を着てだれのものでもない女

飯饐ゑて母が泪の味したり

白玉をこさへて母のゐなくなる



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「くの字」

梅雨寒く畳に眠るくの字かな

天竺の夢を遥かに昼寝覚

あいの風捉へ白帆の膨らめり

扇風機傍らに隙だらけなる

蟻働くなにかとんでもない風に

五月雨や耳の奥まで毛が生えて

蜘蛛を愛せし弟ひとり木漏れ日に

落し文読んでごらんといふ風に

ぼうふりが音符の如くに立ち泳ぎ

ごきぶりを夫を掃き出すやうにして



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「性懲りもない」

夕顔やあんな男に身を尽くし

枇杷もらふ年端もいかぬてのひらに

ものを売る声空にある青簾

真桑瓜土に汚れし母の手の

叱られて大人しくなる目高かな

咎多き指もて抓むさくらんぼ

性懲りもない男が一人滝壺に

花南瓜自転車押してゆく土手の

頭陀袋さすがに西瓜入らざる

さつきまで昼寝を漕いでゐたらしく

瓜番がここにゐますといふ顔で












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