再生への旅

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<<   作成日時 : 2015/07/23 18:33   >>

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青きまゝ落ちたる栗や坂がかり 玉宗


「遠いから歩く」

これは私が能登半島地震に遭い伽藍を全壊し、再生への歩みを始めるにあたって掲示板に書き出した覚悟の言葉だった。

この言葉は私が創り出したものではなく、以前どこかで出会っていた言葉である。頭の隅に燻っていたのだろう。この言葉をもっと正確に当時の私自身の心情に即して言えば「遠いから歩く」というより、「遠いから歩ける」というのがその覚悟の真相に近い。死なないから生きている。否、もっと直截に、死が遠くにあるから生がある。否、もっともっと直截に、死と生はいのちの表裏であるということ。表と裏は遠いと言えば永遠に相会うことはないが、一体であってはじめて、いのちであるという事実。命の危うさ、そして真相を云い得ている事実を理屈抜きで肯うことが出来た。震災で死に損ない、すべてを失った契機に授かった「いのち」と「縁」の表情。

 それまでの私は人生を手探りしつつ生きてきたようなものだった。それは極めて個人的な都合であり、人様に自慢できるような代物でも、筋合いでもない。今でもそうだ。そのような迷える私に与えられる特等席・指定席などありはしない。世界や人生の実相、真実というものは、私という些細な存在を受け入れて尚余りあるものであってこそ、広大にして絶対といえる。私の思いを超えてこの上もなく遥かなるもの。

「なんで私が被災しなければならないのか?!」このような思いをよくよく点検したあげく、「生きることは縁を生きることにほかならない」ということに気づくのである。私にとって歩いている今、ここが、道そのものなのであり、すべてであったということ。私自身が「行」「道」に救われていた。そこに気付かせて頂いたということのようである。人生は今よりほかにない。永遠とは「今」のことだ。生きるとは「今」であり続けるばかり。「今」を「歩く」ことが「永遠にして遠い救い」そのものであるということ。

 そのようなどうしようもなく遥かなるものに生き生かされている私という些細な、そして確かな存在。それもまた、何ものにも較べられず、比べる方法も判らぬ、どうしようもないほど有難い、在ってなきがごとくの絶対的一点とも云うべきものである。被災そして再生の歩みはそのような自己の真相との出会いの日々であった。それは新鮮で充実した日々でもあった。被災当初には思ってもみない人生の展開。人生は思いの外、想定外の連続であるとも云えよう。世界は確かに私を中心にして展開はしていないが、善くも悪しくも私とともにあることは否定のしようがない。或いは、私という些細な、あってもなくても大勢に影響ない存在は、遥かなるものへと開かれた小さな窓でもある。私にとって生きるとは、市堀玉宗という小さな窓から「遥かな遠いもの」へ眼差しを向けること。「遠いから歩く」「遠いから歩ける」「遠いから生きて行ける」とは私にとってそれ程の内実をもつ言葉となっていた。

 私はそれをいのちの真相として、私自身の人生の在り方として示したつもりだった。
掲示板に掲げたが、それは私が私として生きて行く、生かさせていただく、その覚悟を表現したかっただけなのだ。それだけのことだった。意外なことに、この言葉にこころ揺さぶられたというお方が大勢おられた。宗教の在り方が極めて個人的な都合の領域であると疑わない私にしてみれば、そのような賛辞が身にも心にも余ることでもあった。多くの再建支援者によって小さいながらも興禅寺は復興できた。托鉢という「行」に応えて下さった真心の積み重ねである。それらのうち、どの一つを欠いてもお寺は復興できなかっただろうし、市堀玉宗という半端なお坊さんの再生もなかったであろう。

「遠いから歩く」今、東日本大地震に被災された多くの皆さんへ、この言葉を贈りたい。再生の歩みはどんなに辛くても自分の足を運ばねばならない。そして、手を差し伸べることだ。それに応える手が必ずある。こころを開いてくことだ。それに応えてくれる真心が必ず現われる。この地上に傷ついたものが立ち上がるにはやはり、この地上を於いて余所にはない。被災者の皆さんにはまだまだ不自由な、辛い日々が続くことであろう。肩の力を少し抜いて、一人で頑張りすぎないでほしい。被災者もそうでないものも、支える者も、支えられる者も、共にそれぞれのご縁を大切にして、遠慮なくその相互の縁の力を活かしてほしい。東北の純朴で優しい人たちの、美しい故郷の再生を願って已まない。合掌



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「かけつけて」

ひもすがら尻をかかげて田草取

早苗饗や呼ばれもせずにかけつけて

昆布干して昼は音なき海人が家

目隠しをすれば逃げ出す西瓜かな

夏休み使ひ切れざる海と山と

寝くたれてゐて海の日とおもひけり

夏蝶の行ったりきたりしてゆきぬ

河豚干して名古屋場所へと旅立ちぬ

水無月も能登は海より尽きむとす

風死して気の触れ合へる音すなり


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「杞憂」

武器を失くした男がひとり水を打ち

いろはにほへどみな寡婦となる日傘かな

夾竹桃軍靴見送る道のべの

夜通しの雨に伏したる夏野かな

河童忌やつくり話もほどほどに

蟻地獄杞憂の空のあるばかり

不死男忌や窓ごしに見る空の涯

朝顔や露の力のあさぼらけ

雲海の下に屍が濡れてゐる

虹を渡ると云ひしばかりに侮られ





















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