再生への旅

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zoom RSS 今日の営業・「安居抄六千句」を読むコツ?!

<<   作成日時 : 2015/07/08 17:48   >>

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月見草沖なだらかにやすらけく 玉宗


わが句集に限らないとは思うのだが、なにごともじっくり読むに越したことはない。慌てないで読んでほしい。ましてや六千句である。先は長い。かといって、一字一句に躓いたり拘ったり、重箱の隅をつつくようなことはしないでほしいとも願っている。それには私なりの言い訳、譲れない俳句に関わることへの偏見がある。

私は句集の助言で次のようなことを認めた。

一、この句集は「雪安居」「面目」に続く私の第三句集となる。
平成十五年以後の約一万五千句の中から六千句を選んだ。四季に分けてあるが時系列という訳でもない。一ページに二十句づつ。それぞれタイトルを付した。タイトルごとに一作品として鑑賞するのもありです。タイトルの句が私の一押しであることもあります。一般的な句集では四百句前後にして定価二千五百円ほどであることからして、六千句が千五百円とは破格にもほどがある。実にお買い得な句集であると言わざるを得ない。それにしても、六千句など余程の暇人でない限り一気に読めるものでもない。望むらくは暇にまかせて、どのページからでも、いつでもどこでも読んでほしいという思いから文庫本にした。電車の中でも、喫茶店でも、横になりながらでも読めるという訳である。私の俳句は難しくはない。現代俳句にもなりきれず、伝統俳句にも染まりきれないでいる。われながら如何ともしがたいのだが、実は密かに平成の世の小林一茶を目論んでいる。

二、自己類想、自己模倣の洪水ではないかという指摘や、これはまさに俳句のメルトダウンではないかといった危惧は、作者である私がすべて自己責任で引きうける。出版社に罪はない。因みに私は類相や模倣がいけないことだとは思っていない。一字一句寸分たがわないというのは論外だが、似たりよったりに目鯨立てるというのもどうかと思う。著作権などと言いだすに至ってはついていけない。だいたいが、一人の人間の想念や感性といったものが悉く同じ轍を踏まないものであるわけがない。そんなことより一人の作家を丸ごと受け入れ、或いは拒否することの方が余程文学的ではなかろうかと思う訳である。

三、現在、私はどの協会にも属していない。俳歴は本末に記した通りである。文語表現を心掛けてはいるが、口語俳句や自由律も排除していないし、要するに作品次第だということ。言葉は生き物だという認識が私にはある。千年以上も前の、雅や、或いは俗な言葉を今もなお後生大事に使っているおめでたさを感じないではないが、古いものの面白さ、味わいというものが確かにある。一方で現代最前線の言葉使いの面白さというものがあることを否定しようもない。流行と不易とは言葉そのものの宿命ではなかろうと思ったりもしている。どちらも自家薬籠中の方便として使いこなせたらいいね、といった憧れがある。「生きてゐる言葉」に関しては日和見主義的なところがあり、節操のない立場をとっている。生きた大衆文芸とはそういうものではないかな、といった偏見が抜き難い。


実は当初、この文章には次のような文章もあったのだが最終的に私の判断で削除した。

「句集と云えば贈呈するものだというのが常識のようだが、私は義理のある二三の方を覗いては差し上げないつもりである。もっといえば、俳人と呼ばれる御仁には読んでほしくないという思いがある。まあ、その様な人は買って読みもしないだろうが。」

その奥底にある思いといったものは、この句集の扉の言に言い尽されているのである。


俳句を理解しようとしないでください。
木を見て森を見ず。
森を見て木を見ず。
どちらもほんとうです。
どちらも嘘です。
森の番人でもある読者のみなさん、
どうか、あきらめないで、
わたしという人間の昼と夜、光と闇を呑み込んでください。
梟のように。合掌。



私は句集を世に提示したのは私と云う人間を丸ごと受け入れるなり、拒否するなりしてほしかったからである。それが余程文学的ではなかろうかと考えているからである。一句を以って自立する覚悟、腸の一句を引っ提げる自選力が試されているのだという理想も解らないではない。自選力と云えば、今回は1万5千余の中から自選したのである。六千以下に削る理由がなかったということだ。いい句も、ダメな句も、ひっくるめての市堀玉宗である。いい句の影に隠れるようなことはしたくなかった。それは俳人としては勿論、仏弟子としても、人間としても譲れない私の生き方の芯に関わることだからである。裏も表もみせての、人間・市堀玉宗の表現世界を受け入れてほしいということだった次第。

俳句をよく知らない一般の方には知らないことでの狭い視覚があるだろうが、俳句の絡め手を知らないことで感じることができる文学以前、俳句以前の素の世界に敏感なものだ。自称、他称の俳人諸氏には本人は気づいていないかもしれんが、えてして抜き難い色眼鏡が掛っている。当に木を見て森を見ず。私はそういった類の面倒くささには辟易しているのである。

そうではあるが、扉の言葉にあるような嘘もほんとも丸吞みできる梟のような人はそう多くないかもしれない。欲深いといえば欲深い。まあ、ある意味愛情に餓えているんだろうね。然し、一人でもいい、そのような理解者がいることで私は世に句集を出した甲斐があろうというものである。本当の読者を探し、作りだすのも表現の力学というものではないかな。削除はしたが、そんなことを今でも思ってはいるのである。




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「これみよがしに」

月下美人一度は抱いてみたかつた

烏瓜咲くやゆふべのにほふかに

ほどほどに曲がる胡瓜を欲しがりぬ

漲りし茄子の艶に惚れぼれす

杳として宵待草がしなだれて

油染みたる烏の歩く暑さかな

貧しさをこれみよがしに戻り梅雨

遠雷を聞きとどめたる交尾かな

明日は旅立つ人を励ます青田べり

押入の暗がりにほふ晩夏かな

ダメ出しを喰らうてゐたる蚊帳の中

虹立ちぬわが髑髏跨ぐかに












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内 容 ニックネーム/日時
 「安居抄六千句」本日受け取りました。早速にありがとうございました。
裏表紙への一句、こちらも有り難く感謝申し上げます。何処からでも好きに読めば良いようですので、構えずのんびり味合わせて頂きます。
人生の大きな節目に、ひとつの夢を実現なさったように感じます。
みどり
2015/07/11 22:16

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