再生への旅

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zoom RSS 今日のアウトサイダー・ある托鉢僧

<<   作成日時 : 2015/08/19 19:41   >>

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鰯雲この世に二人子を遺す 玉宗


お盆も済みひと段落。骨休みしたいところだが、じっとしていられない性格は如何ともし難く、残暑の中、午前中は外で作務で汗を流している。今日も興禅寺でそんなことをしていたら、聞きなれない鈴の音が行き過ぎた。通りへ出てみると隣りの床屋さんに門付けしてお坊さんが托鉢している。正確には「お坊さんらしい」というのが第一印象であった。網代笠と大きな鉄鉢以外はそれらしい姿はしていなかったが、なにやら鈴を流しながらお経を唱えてはいるようなのである。

時々、門前町内を托鉢している遠来のお坊さんに会うことがある。大震災後にも臨済宗のお坊さんが歩いていた。あのときもそうだったが、どうも托鉢僧をみると放っておけない癖がある。頼まれもしないのに、「お茶でもどうですか?」と声を掛けた。

玄関先に坐ってお茶をしながら話し始めた。
自らを「托鉢僧」と名乗るその僧は齢77歳。65歳で単立寺院の住職について出家したようである。宗門の専門僧堂で安居修行した訳でもなく、師匠の教えに習ってひとり托鉢して全国をあるいているのだという。富山に拠点となる自分の庵があるらしい。

師匠の方は宗門人だったらしいが、今は単立寺院である。韓国のお坊さんとの交流もあるらしい。韓国仏教といえば出家仏教で妻帯しない筈である。ということならと、「さしずめ私のような妻帯しているお坊さんはあなたたちからすれば、お坊さんじゃないんでしょうね?」

「そういうことになりますね。」と彼は普通に応えた。「師匠の言うには正確にはそういうことになりますし、大般若経の解釈から言っても、そういうことになりますね」と、些か訳が解らんことを言い出した。「大般若経」も何だが、「正確には」という概念にも突っ込みたいところだったが、めんどくさくなり、聞き流したのである。
件の師匠は数年前に宗門人を相手取って訴訟を起こした人物らしい。実際は妻帯しているにも関わらず、「出家仏教」を標榜してお布施を戴くのは詐欺ではないかというものらしい。なんかよくわからんが、税法上の問題も指摘しているらしい。私が聞きもしないのにそんなことまで教えたくれたのである。

私は一つだけ聞いてみたのである。

「あなたのしている托鉢とはどんなものなんですか?」

「難しいことは解りませんが、祈りですね。それにしても、この辺は托鉢きびしいですね」

「難しいこと」といって切り捨ててしまった本質こそが問題なんですがといいたいところだったが、それもなんだか77歳のお坊さんには酷なことなのかなあと同情のようなものが湧いたので、又聞き流してしまった。「きびしい」とは「あまり賽銭をいただけない」ということらしい。結局その程度の托鉢かい、とつっこみたかったが、これも聞き流す。

私は、自称お坊さんを否定するつもりはない。仏弟子であるかどうかと、組織にいるかいないかの違いとは別の問題ではある。本物であるか偽物であるかも同様だ。インサイダーだから本物であるとは言い切れない。アウトサイダーだから偽物であるとは言い切れない。インサイダーだから堕落しているとは言い切れない。アウトサイダーだから本物であるとは言い切れない。言うつもりもない。実物だけがものをいう世界だから。

本物偽物論議は今に始まったことでもなかろう。妻帯しているお坊さんは「仏弟子ではない」といった問題については拙ブログでも何度か取り上げてきた。このような本質論は、本質の為の本質論に終わりかねない。仏教はお釈迦さと云う覚者がひとり世に出たことからはじまっていることはだれも否定はしないだろう。三国伝統の仏祖方もまた然り。本流亜流また然り。大乗小乗また然し。在家出家また然り。過去現在未来また然り。生死去来また然り。みなお釈迦様となる機縁なのである。そのお釈迦様とはだれのことだ、と云いたい。仏道はその問処答処に窮まると言って過言ではあるまい。妻帯するしないといった問題もまただれにとっての問題なのかということだ。

解脱はしなければならない。それは他から強いられるものではない。人の数ほど煩悩があるとは、人の数ほど解脱の機縁、脚下照顧があるということだ。

それにしても、なんか、めんどくさいなあ。また、まだ、そんなことで足踏みしているんかい。まだ、そんな手間をとるんかいねといった思いが拭えないないんだなあ。終いにはどうでもよくなってきた。

作務の途中でもあったことを思い出し、早々に話しを切り上げてお帰り頂いた。最後にひとこと声を掛けた。

「さようなら。お大事にね。また、ご縁があったらお会いできるといいですね」



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「宿して」

ふるさとに宿借るころや稲の花

後ろ手に閉めたる秋の空かとも

鬼灯の紅きがうれし帰るさの

芙蓉吹く風の緩びもかんばせの

秋の蝶一人ひとりの目に留まり

世の隅に鈴虫暗く飼ひ馴らし

わがものとしたる林檎に距離を置き

月影を宿して茗荷花白く

草を打つ水の流れも秋澄みて

悪い子を叩く音して栗落つる

家出してみよとばかりにゑのこ草

真夜中の星に手を振る案山子かな



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「海の家」

海の家裏も表もなき晩夏

かなかなや寝ても覚めても日暮れても

いつもただけふをかぎりやさやけくも

浦かけてさざ波立てる秋の潮

拘りをなんなく越えて藪枯らし

人生に見離されたる芒かな

知恵足らぬ無花果鳥に喰はれけり

秋めくや憂ひなければなかつたで

追伸のごとく秋蝶流れ来る

海はもうだれのものでもなく素秋



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「さも」

桃啜るさもだらしないやうにして

一夜さの別れの色に酔芙蓉

蜻蛉追ふ遥かな空もなかりけり

鶏頭の花といふには頑なゝ

藪枯らし屁糞葛と絡み合ひ

生き死にのとばり燈籠流しけ

橡の実晒す白き山より水引いて

地蔵盆村に一つの灯を点し

豆稲架や能登沖見ゆる道のべの

水落とす父が真顔になりにけり



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願わくは 御法の精髄戴きて
弥栄えよや あまた門前
京の藪内
2015/08/21 02:24

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