再生への旅

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zoom RSS 今日の莫妄想・生きていることへの罪悪感?!

<<   作成日時 : 2015/09/24 21:15   >>

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秋風や出世第一道場の 玉宗

先日の大本山總持寺祖院御征諱法要での対真上堂でのこと。
ある雲水さんの問答が如何にも正直過ぎて、笑うに笑えない現代の寺院徒弟制度の実際を垣間見せられるようなものだった。

その禅問答とも云えぬ人生相談的な問答とは次のようなものだった。

「私はこの歳になるまでお寺の子としてなに不自由なく暮らして参りました。そんな生活への罪悪感が拭いきれないでいます。今後、お寺に帰ってどのようにして生きて行ったらよろしのでしょうか。」

余りにも人間的な問にあっけに取られて、禅師様がどのように応じたか聞き逃してしまった。まあ、このような問答しか掛けれない修行者がいるというのも宗門の偽らざる現況である。正直と云えば正直なのであるが、このような修行の入口でもたもたしているようでは埒があかない。大体が、「なに不自由なく」と言っている先から「罪悪感に苛まれている」という「不自由さ」を告白しているではないか。なに不自由なく生きるとは言わば理想の生き方である。身にも心にもものにも、生にも死にも縛られず自由自在であることこそが自立した仏弟子というものでもあろう。仏法の自由、不自由が如何なるものかを垣間見てさえいないようだ。罪悪感云々というのも額面通りに受け取る訳にもいかん。

それにしても、なに不自由なく育ててきた親にしてみれば、罪悪感云々は聞き捨てならない言葉ではある。まるで親が盗っ人かなにかの類とでも言いたいかの如きである。どの程度のなに不自由なさ加減かは知る由もないが、まあ現今話題に上る世間が羨ましがるほどのものであろうことは想像できる。恐らく檀家も多い肉山なのであろう。大きな寺には大きなお寺なりの苦楽があるし、小さなお寺にも小さなお寺なりの苦楽がある。そのような人生の真相はお寺の世界だけではあるまい。どの社会でもありうる存在の前提条件である。

いずれにしても、お寺の維持管理は檀信徒からの布施によって支えられている。徒弟を育てることもその経営線上でのことである。檀家はお寺に住む人間に、なに不自由なく暮らしてほしくて布施をしているのかどうか。それはなんとも言えないところがあるが、お坊さんに全うな「行」をして頂きたいという思いがあるだろう。われわれはお布施を頂いてそれに恥じない「行」を積み、檀信徒からの布施に応えるものを施していかなければならない。ものにも、心にも、身にも、法にも、生にも、死にも、施された以上のものを施すことを理想として生きている代物なのである。

莫妄想とは妄想すること莫れではあるが、もう一歩踏み込んで実相の在り様を端的に指し示している言葉でもある。つまり、実相とはそのまま「妄想」を離れているということ。なに不自由なく暮らさせて戴いていることへ罪悪感などを抱いている暇などないのである。住職になるということは檀信徒と共に仏法を体現する道を選んだということである。檀家の多い少ないや、常住の潤い加減は天からのあたわりものである。自分の思い通りになる領域のものではない。

罪悪感などと云い出すうちは、まだ施しが足らんのだ。罪悪感と云う不自由さがあるのは身にも心にも貪りのまっただ中におのれがいるということだ。人に施すためには貪りを捨てなければならない。自己が空っぽにならなければならない。その覚悟があるのかどうか。

仏弟子の第一の資格は、四角四面の住職資格ではなく、仏道に人生を賭ける志の有無こそが問われなければならないし、自己に於いて点検、自問自答されなければならないのである。妄想に苛まれ、或いは妄想と遊んでいるうちは到底自己の、檀信徒も救われないと肝に銘じてほしいものだと他人事ながら老婆心が湧いたことであった。



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「癖」

灯下親しむ生きてゆくのが癖になり

石榴割れ太初のことば吐き出しぬ

椋鳥の騒々しさや夕ごゝろ

石叩き用あるごとくなき如く

百舌鳴いて夕空仰ぐばかりなり

瑞穂なる倭の名の国の稲雀

愛されずして帰燕の空のあるばかり

猪罠を仕掛けし夜の酒場かな

稜線に鹿現はれて消えにけり

眩むまで空深くして通草割れ








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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ご無沙汰しております。
先日、金子兜太先生にお会いする機会がありました。すぐに玉宗さまのことを思いました。私のブログにその時のことを書いていますのでよろしかったらご覧ください。いえ、玉宗さまのことは書いていません。
花てぼ
2015/09/25 19:44

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