再生への旅

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zoom RSS 子規という生き方

<<   作成日時 : 2015/09/04 14:59   >>

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椿の実未生以前の硬さあり 玉宗



血を吐いた自らを「子規・ほととぎす」に擬して俳号となし、長くはないであろうと予感したその生涯を俳句革新に賭けた人間・正岡常規。明治初期に幼少時代を過ごし、青年期を明治二十年代の渦中に生きた子規。彼も又若々しい明治日本の申し子であったとは指摘されるところである。
 
 あたゝかな雨がふるなり枯むぐら
 名月やすたすたありく芋畑
 一籠の蜆にまじる根芹哉
 みちのくへ涼みに行くや下駄はいて 


「子規の句を見ると、初めのうちはそんなに器用な、上手な作家とはとても思えない。才能のひらめきは見ることができるが、俳句そのものとして見ると、そう上手な人ではなかった。
ただ、非常に正直なところがある。句は上手ではないが、非常に現実感が強い。」
故・沢木欣一先生の言葉である。即物具象を称導した氏には、実景に即した感動こそ最短定型詩の醍醐味であるという確信があった。子規は当にその典型なのである。病状六尺の天地にいる子規にとって見ることは生きることと同義であっただろうし、あるがままに生きるより外になかったのだとも云える。生きていることは奇跡だという実感を持ちえた人間。次の句はそのような人間の眼差しが捉えた生の何気なさ、或いは死の何気なさなのかもしれない。
 
鶏頭の十四五本もありぬべし

この句は評価が別れているようだが、私などには何故評価が別れるのかが解らない。虚子などはこの句を撰集に入れることはなかったというが、それだけを持ってしても虚子の人間の度量の狭さを私などは感じる。嘗てこのような自然さで持って一句を成したものがあっただろうか。人を食ったようにさえ見えるこの正直さ、何気なさ。不気味さ。そしてここにある一種の笑いは、自己を客観視することがなければ決して生まれない。見ることがそのまま感じているという写実の奇跡がここから始まったといてもよかろう。子規は確かに俳句の革新を成し遂げたのである。それは恐らく阿鼻叫喚の病臥の合間に授かった詩精神の強さの賜物だったのであろう。

最後にもう一度沢木先生の言葉を牽かせて貰う。先生は俳句の将来に悲観的展望をされておられた。現代人の言葉への鈍感さだけではなく、生きていることへの現実感の希薄さ、感動のない形骸化された定型、言葉の遊びに浮足立つリアリテイーのない文芸の価値観に危惧を抱いておられたのではないだろうか。それは、つぎのような子規への観察眼からも察せられるのである。

「子規俳句には暗さがない。これが子規俳句の魅力の一つである。私たちはこれまで子規の伝記とか人間に重点をおいて子規像を描いてきたのではないか。人間と作品の関係でいえば、子規という人間があるから作品が生まれた。当り前のことだが、人間の方から作品を見るのではなく、作品を通じて人間を見る、作品がもとだと思う。
私たち実作者が子規を見る場合にも作品を通じて子規という人間に迫っていくよりほかない。子規の作品は決して暗くない。むしろ明るい。生きる喜びに満ち溢れているといってもいいのではないか。こういうところを見落とすと、子規の魅力が相当減るのではないかというが私の考え方である。」(角川書店 『子規・写生』 没後百年より)

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
 痰一斗糸瓜の水も間にあはず
 をとゝひのへちまの水も取らざりき


この辞世らしからぬ気取らない、自然さが俳諧の誠を生き切った証左であろう。子規のこの尋常ならざる自然さを私はその作品を通して学んでゆくしかないのであろうと思う。いくら大衆文芸とはいえ、そのような言葉の力、奇跡を信じることができなくで文藝に関わるなどとは笑止なことであるのかもしれない。

末は太政大臣にならんとして都に上りながらも挫折し独自の道を切り開いていった明治の好漢正岡子規。その柔軟さ、自然さ、不屈のこころざし。それはまた、あるがままに生きることの困難さを今も私たちの前に提示している。


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「もう一度」

指折りて秋の七草もう一度

撫子に咎められたる命懸け

ときじくの雨に流るゝ萩の屑

芒穂にこんな筈ではなかったと

見返りの色やにほへと女郎花

屈むほどな腰の低さに藤袴

破れたる夢に寄り添ふ桔梗かな

恋ひ焦がれ夜はむらさき葛の花

夢覚めし肉のひだるさ秋簾

しやうがない男がひとり月見豆



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「らしく」

モツ鍋の湯気を浚うて秋の風

肩凝りがひどいわ処暑の妻嘆く

鈴虫と一人バットを振る男

ちんちろりん腕立て伏せをしてをれば

父さんはメタボ予備軍天高し

稲妻や神にも閨のあるらしく

あてにならぬおのれ頼りで露けしや

コスモスの機嫌伺ふ風かとも

落ちてすぐ走り出したる一葉かな

さよならの風に且つ散るプラタナス


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「骸」

芋嵐胸騒ぎせしやうにして

玉虫の骸拾へる秋の暮

妻と育てし庭の秋草見てゐたる

裏木戸を開けていきなり秋の浜

剥がれたるごとく秋蝶風に舞ひ

芋虫の謎が蠢くなまなまと

義に生きる悲哀も少しいぼむしり

藁屑と思へば蝗跳ね上がり

蕎麦咲いて情け容赦もなき日暮れ

鬼の子がどうか一人にしてくれと













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