再生への旅

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zoom RSS 今日の威儀即仏法・松の事は松に習え

<<   作成日時 : 2015/09/14 17:23   >>

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白萩の紅に遅れしさゆれかな 玉宗


大本山總持寺祖院御征忌法要。全国から延べ二百人以上のお坊さんが参集しての行持である。私のような田舎坊さんには、圧倒されるに十分な数である。どこにこんな沢山のお坊さんが隠れていたのだろうと怪訝な思いになったりする。普段から余りお坊さんつきあいの少ない自分にはたじろぐほどの存在感である。
宗門の金科玉条の一つに威儀即仏法というものがある。ここで言う「威儀」とは「わたしのやり方」といったような勝手次第のものではない。具体的に連綿として、目の当たりに人と人を介して伝わってきた「生きるかたち」のことである。

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「仏道を習うとは自己をならう也」とは蓋し道元様の指し示された金言である。「自己」とはなんであるか。そこが出発であり、道中であり、帰着である。その自己の人生とは「生きるという一つのかたちを学ぶこと」にほかならない。「行持」とはそういう意味で「私事」ではない。恣意の余地のない「公なるもの」である。平等なるものである。そのような行持に行持せられるとは、行持に救われているわが身心であるということ。生は生の行持。死は死の行持。今は今の行持になり切る。行持に引っ張られ、叱られ、励まされ、ひたすら奉行、そして莫作なるのみ。それをしも仏道とはいうのである。

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「かたち」ばかりに拘る、と批判的になることがあるが、それは「かたち」の盛るべき「内実」を持っていない人間の失言であることが多い。「かたち」を「真似すること」の難しさ、「かたちばかり」であることの奥の深さを未だ知らないことが多い。「かたち」に賭けるべき「内実」が希薄であることが多い。形骸化しているとは恐らく「かたち」が本来の「かたち」をなしていないということではないのか。「かたち」と「内実」とは一体のものではないか。「かたち」ばかりに拘る云々とは、未だ、「奉行」も「莫作」も知らざるものの言である。


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「かたち」とは竟に「かたちそのもの」を超越・超克することを望んでいる。少なくとも、そのような内実を待ち望んでいるかの如くである。「仏道」も又、そのような「内実」を「創造」する働きのあるものでなければならないだろう。「かたち」は古くて常に新しい。日々更新し、日々新たな地平へ自己を誘う。なればこそ生きる力となり、救いとなるのである。躓いたり、行き詰ったりしているということは、未だ「かたち」をわが物としておらず、自由自在ならざるものの脚下にほかならない。

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松のことは松に、竹のことは竹に、生老病死は生老病死に、諸行無常は諸行無常に習うしかない。人は現実という情け容赦のないところからしか立ち上がることはできないのである。仏弟子とはついに、そのような再生の達人であらねばならないと思っている次第。

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「追ひつけぬ空」

追ひつけぬ空が広がる稲雀

雀らの宴見てゐる烏なりけり

学び舎の朝は閉ざして芋の露

峡の空いよいよ深く猪威し

われに帰る旅の途中や秋の雲

二百二十日鷺が瀕死の声上げて

夢のなき朝はさびしや草雲雀

朝露の果てをどこまで行つたやら

一山を忽せにして虫の声

山裾を引けば零るゝ零余子かな



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「腸」

腸を手に取るやうに秋の暮

已むに已まれぬ乃木希典の忌なりけり

傾きし案山子起こしてゐるところ

後朝の枕引き寄せ寒がりぬ

群れなしてめざせる鮎の奈落かな

暮れてゆく水の行方や鮎錆びて

腸を覗けば濃ゆき銀河かな

団栗や父の語らぬ夢いくつ

仕舞ひ湯の妻の音する銀河かな

栃の実の笛の音きそふ兄もなし

さびしさに飯を食ふなり獺祭忌

訳あつて糸瓜の水を取ることに



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「ことをして」

暁の灯を司る寒みかな

大概のことは許せる爽やかさ

天高く人に遅れることをして

色褪せて秋の山より降りて来る

瓜坊に追ひかけられてゐるところ

虫の夜人に憚ることをして

ポケットの中はでたらめ小鳥来る

百舌鳥の贄日は金色に落ちゆけり

蓑虫や月に嘯くことをして

閼伽濁り卒塔婆は倒れ雁渡る

案山子さへ人の嫌がることをして


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