再生への旅

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zoom RSS 今日の教外別伝・諸行無常の宗旨

<<   作成日時 : 2015/10/03 16:38   >>

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一人夜をともしび色の柿を食ひ 玉宗



先日、ツイッターで「死んだ後のことは宗教にまかせておけ」といったコメントがあった。
今でも「宗教」に対するこのような認識が常識化していることに聊か唖然としたのだがどうだろう。このような見解は少数に過ぎないのだろうか。方や、現代の若者に邪宗や迷信への傾斜があるようなことと考え合わせて、「宗教」にくくられている「禅」や「お寺」のあり様、将来に嘗てなかったような社会との断絶感が漂うているのを見過ごせない。それはまた僧俗ともに檀家制度というものの再考を問われていることと無関係ではあるまい。

心ある識者の中では既に問題提起の前提であったのかもしれないが、能登の片田舎に住まう小住職の身辺にもそのような社会情勢、環境がひたひたと押し寄せているのをごまかせない。迷ったときの原点回帰ではないが、混迷する現代宗教事情に深入りする前に、「仏教」というものの初心を自戒を込めて肝に銘じておきたい。

よく言われることは、世にお釈迦様という開祖が現れたことからすべては始まっているといったような展開である。宗祖としてそれは当然の帰趨かもしれないが、それよりもなによりも、すべては眼前に展開する諸行無常の端的から始まっていると言いたい。生老病死はいのちの万古不変の実相である。お釈迦様はそのようないのちをどのようにして受け入れ、生きていくかに身心を挙して自問自答した覚者にして実践者、先導者であったということだろう。

死後のことは無記として棚上げしたのである。未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんやである。先祖供養とは死後の話ではない。死とは生きているものにとって眼前の、見たとおりのもの以外のないものでもない。死者も生者も供に成仏しようという心根、生きるかたち、態度、志をこそ、自己という大きないのちを豊にもし、深めもし、養うもするといった目覚めがそこに前提としてあるものだろう。

それはお坊さんという他者がどうにかしてくれるといった筋合いのものでも本来ないだろうし、檀家であるから無条件に成仏できるというようなものでもなかろう。初心正しからざれば万行空し、とはお坊さんだけの話ではない。およそ、娑婆世界に目覚めて生きていこうとするものの心しておかねばならない用心である。

欲望を超えたところに身とこころの安寧を見出し、執着を超えたところに諸行無常の恩恵を見出し、今を限りの尽力をこそ永遠への飛躍と覚悟する。仏道人、信仰を持って生きる、仏の方を向いて生きる、宗教を持って生きるとはつまりそういう類の人間をこそ言うべきなのである。

江戸時代の残滓である檀家制度の問題は、その目論見を否定してもまだ許されるべき器として今後もあり続けるのかどうか。宗教選択の自由を勝ち取った現代社会。政教分離を勝ち取った現代宗教界。それはそれで人類の英知、進歩といってもいいものだろうが、自己一人の目覚めの中での人生を勝ち取ることとは別次元の話であることを忘れてほしくはないといった思いがある。住職と檀家は信頼関係において築かれているものであることは言うまでもないが、それは欲望のやり取りではない。どこまでも「欲望を越えた世界」での信頼関係であってほしい。

お寺、宗教、檀家制度、等々、およそ「かたち」といったものは「本来の内実」をともなってこそのものであり、「内実」もまた「あるべきかたち」を得てこそのものなのだろう。そういう意味では「内実」も「かたち」も自由自在を真骨頂としているのかもしれない。われわれが諸行無常の人生から学ぶべきもの。それはいろいろあるが、思想に於いても行動に於いても、内実に於いても、かたちに於いても、凝り固まったものを持ち歩かないことなのかもしれない。宗教もまた人類のためにあるものではないのかもしれないと思ったりもする。いかにいわんや、お寺においてをや。いかにいわんや檀家制度においてをや。いかにいわんや欲望界隈においてをや。

半端ながらも、私は道元禅師の流れを汲む『曹洞宗」のお坊さんとして生きている。それはつまり上述のごとき「諸行無常の宗旨」に生きているということであると言い切ってよい。そのような宗旨の成仏に檀家三十軒で不足ということはありえないと本気で思っている。



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「つるりと」

けふもまた灯下親しむほかはなく

衣被つるりと爆弾低気圧

仕舞ひ湯の妻の音して十八夜

コスモスに絡め取られし風かとも

桐は実に役の行者の道のベの

聲かけて山を励ます秋薊

赤々とかりがね寒き花のいろ

肩の荷のずしりと釣瓶落しかな

奥能登の空に嫁ぎし林檎売り

嫁が来ぬ家はとびきり秋の暮

暮れてゆく間引き菜茹でてゐたる間に

いふなれば遮二無二生きて穴に入る

天上の染み見てをれば鳴く蚯蚓



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「内助の重さ」

真夜中の月の駅舎を吐き出され

立山の嶺に雪おく稲架木かな

秋雲の雨脚見ゆる沖つ島

垂乳根の白く豊かに秋灯

一人夜をともしび色の柿を喰ひ

妻抱けば内助の重さ石蕗の花

秋思いま雲の行方の如くして

火や恋しもはや晩年かもしれず

またゝびの能登の地酒を酌み交はし

うつろへるもののにほひや紅葉山

天翔る夜の咆哮夜の野分



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「手遅れ」

色鳥を夢のごとくに見失ひ

団栗のやうなチンポコもて生まれ

うそ寒き顔して藁を買ひに来る

露けさのもとをたどれば親の愛

手遅れのやうに芒が風に靡き

小鳥来と赤き実となる誰がおもひ

色褪せて色なき風を聴くばかり

山葡萄競ひし兄も星となり

暮れてゆくこゝろぼそさよ蕎麦の花

稲架解くや能登沖に波立ち騒ぎ





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