再生への旅

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zoom RSS 今日の諸悪莫作・究極のご利益?!

<<   作成日時 : 2015/10/24 18:32   >>

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生きながらまなこ枯れゆくいぼむしり 玉宗


「人はなんの為に生まれてきたのか?!」などと今どき、こんな自問自答をする還暦のお坊さんもいないとは思うのであるが、まあ、この歳になって実感させられいる事実は誤魔化しようもないところ。ということで、今日の観音祈願祭の法話は、以下のようになった次第。


「今日はようこそお参りくださいました。先ほどご覧いただいたように、宗門の御祈祷は「大般若経六百巻転読」というものです。謂わば、「般若の智慧」を「転じる、わがものとする」ことに外なりません。「般若」を私なりの言葉で申すならば、「いのちのはたらき」といったようなものです。わが余念や思い込みや都合に左右されない、ありのままのいのちの在り様があります。そのような次第の人生における「御利益」とは何であるか。今日も皆さんはなにがしかの「御利益」に預かろうと法要にご参拝しているに違いないのですが、さあて、究極の御利益とはいったいどうのような代物であるのか。

宗門に於けるご祈祷と雖も、お釈迦様が娑婆を捨てて出家なさった因縁の余所にあるものではありません。生老病死、諸行無常の現実という眼前の端的があります。そのようないのちの人生をどのように生きるべきかというお釈迦様の解脱の道があったということ。仏道とはどこまでも自覚覚他円満の道程であってみれば、それぞれがそれぞれとして既に御利益に預かってのいのちであるということ。本来的に過不足なく、それそのものであるということ。そのようないのちに目を瞑り、妄想し、貪り、転倒し、行き詰まり、ものたりようとする私がいます。これはどうしたことか。それでいいのかということです。

御利益とは欲望に欲望を重ねるような代物であっていのかどうか。仏の御利益とは何か。私の都合ばかりをよく聞いて、叶えてくれる仏様、神様とはいったい何の狎れの果てであるのかとも言えましょう。真の仏の御利益に目覚めなければなりません。というより、ありのままのいのちに目覚める、或いはいのちのありのままに目覚めることをこそ真の御利益であると申せましょう。信仰を持って生きる、仏の方を向いて生きるとはつまり、そのような次第の志ある生きざまではあったのです。思えば、人間とは、自分が何者であるか解らないままに生きている不思議な動物ではあります。そのような事をも重ね合わせて思えば、信仰を持って生きるとは、本人が思う以上にそれは大したことではあったのです。尊いことではあったのです。

人は人として生まれてきたのでしょうか?ちがいますね。人は人になるために生まれてきたのです。人生とはその学びの道程の謂いに外なりません。生老病死、それぞれの今を学ぶ。今を限りとして学び、力を尽くし生きる。そのようにして人は人となって行くのであり、仏や神や永遠なるものにまみえるのではありませんか。そのような所以である人生における「御利益」とは如何なるものであるべきか。比べられもせず、変わることもできないいのちの絶対性。無常こそが仏性であり、救いであることに目覚めたいものです。

豊かに生きるコツ。長生きするコツをお教えしましょう。それは「貪らない」ことです。本来、無一物で生れ落ち、生きて、死すべき宿命のお互いの誤魔化しようもない命です。
行き詰ったり、悩んだり、困窮している時こそ、われわれは「無一物」に立ち返るべきです。行き詰まるとは「何かを抱え込んでいる」からです。背負っているからです。執着しているからです。本来、只事実としてあるいのちの世界に人は様々なものを持ち込み、抱え込む癖があります。そのような窮屈な世界から解脱し、なにものにも邪魔されない、自由自在で柔軟で広やかな地平に生きることになんの遠慮もいらないのではないでしょうか。ものたりよう、もの足りようとするスパイラルからの脱出。

表層的な現世利益一辺倒の人間には窺い知れないかもしれませんが、余計なものを捨てること、無一物なるがゆえにできる施しがあります。それもこれも、私が解脱の世界へ立ち帰るための方便です。私は無宗教ですなどと嘯く義理も暇もありはしないのです。

繰り返しますが、今を限りと貪らず、施し、わが力を尽くす。生老病死のただ中に自己を学び、自己にまみえ、自己に目覚める。余念なく、只ひたすらに生きる。そのようにして人は人の道を学び、仏の道を学び、そして神仏にまみえ、永遠のまなざしの中に生きることができるのではないでしょうか。今生に、人となるために生まれ合わせた縁。我々はまさにご利益のただ中に生老病死しているのではあります。いのち、お大事に。合掌」




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「味」

里芋の小振りながらも土の色

垂乳根の窶れし秋の深みかも

仏壇の柿が気になる法事かな

人を送りてふたたび萩を刈りはじむ

芒活け妻が荒野を垣間見す

虫を売る味はひ深き顔をして

頻尿に通ふ夜長を軋ませて

味気ない味がどうにも零余子飯

一日が忽ち終る石蕗の花

昼からは雨に祟られ秋祭

鮎落ちる遅くならないやうにして

訳あつて糸瓜の水を引く男

哀れとぞ秋の千草を胸に抱き


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「木の実二十句」

謎解けぬまゝに老いたる木の実かな

さいかちの実やからからと峡の空

からたちの実や行儀よき母が待つ

菩提樹の実や秋風の大乗寺

また一人木犀の香に誘はれ

焦げ臭き色となりたる棗の実

銀杏はあっちを向いて拾ふなり

くわりんの実拳骨ほどの固さなる

国を出てから落栗ひろふこともなく

ひとつづつ林檎をもらふ嬉しさよ

住職のもいでくれたる柿甘く

桐の実や生れし郷に一人生き

嘘つけぬことの悔しさ檸檬咬む

ほろほろと土より生まれ落花生

鬼胡桃出臍ほどなる大きさの

見たこともなきオリーブの実をもらふ

一位の実ふゝむや故郷遥かにし

椋の実や鳥になりたい子供たち

榎の実沖見はるかす峠にて

問題は先送りして椿の実



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「つもり」

茶の花や日が蔭ろうてならぬなり

朝顔の口を窄めて夜が来る

夜顔をくしゃくしゃにして朝が来る

里芋の小粒ながらもねつとりと

添ひ遂げるつもりの夫と秋の蠅

秋の暮れほとほと遠ききのふけふ

霜降のにほひもしるき外厠

朝寒く猫が素通りしてゆきぬ

鯛焼きの餡子たっぷり冬隣

亭主より妻に諂ふ林檎売

旅の途のかりがね寒き貌をして






市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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