再生への旅

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zoom RSS 今日の身心脱落・自灯明の人生

<<   作成日時 : 2015/10/19 16:29   >>

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この空に生きると決めて林檎売 玉宗


「みづからを知らむとするは生きるものの定まれるならひなり」


初めてこの言葉に接した時、雲水であった私は、それまで迷いぬいてきた人生の歩みが肯定されたとまでは言わないが、曲りなりにも無駄ではなかったと感じたものだった。お粗末ながらも「自己とは何か?」に拘りながら生きてきたことへのお墨付きを頂いた様な気がしたものである。

顧みれば、自己とは何かと自問自答することは、人生とは何か、現実とは何かと問うことに等しかった。人生、現実、つまり生きている今の実体。そこには私というものに拘っても拘らなくてもなんともない、実に虚しさの極みでもあるようななんともなさ、なるようにしかならないと言い逃れるしかないような、あるがままの世界が展開されているとしか言いようのない私を越えた領域がある。
 
そのような掛け値なしの、絶対的な世界がある。現実を尊重して生きるとは、そのような事実を受け入れて生きる柔軟さのことを言うようである。柔軟でなければ生きて行けないのが生きるものの定めでもあろう。本来の自己を見据えていきるとは実にそのような命の然らしむるところでなければならない。自己を知り、自己を生きるとまでは誰もが口にするが、正確には自己を忘れることこそが仏弟子の面目でもあろう。それこそが人生を逞しく生き抜いてゆく公然の秘訣なのである。

自己の真の姿を知るものはしなやかで、拘るものがない。だからこそ逞しい。糸瓜は糸瓜で、お螻蛄はお螻蛄で、私は私で生きゆくしかないからこその苦難と救済。それはおそらく神様でさえ咎めることはできない存在の条件なのである。自己の内外に輝き影なす鏡のような命の実体。それを覚知し、見極め、捨て置き、担い去り、それ自体を灯として歩むこと。人生とはそのような自己を学ぶ果てしない道程なのであり、自灯明の人生たる所以である。



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「草の花」

遺品なるハチロー詩集小鳥来る

てのひらのあかり乏しき秋の蝶

つはぶきのまなこみひらくやうに咲き

水澄みて吸ひ込まれゆく鯉の口

遠つ国のさざ波寄する秋思かな

紅葉且つ散りぬ美空のしづけさを

悔まれてならぬ天の高きにも

囚はれの身となおもひそ夕芒

落雁や首を晒せしあたりにて

芒野を申し渡しにゆくところ

人恋うてあふるゝ草の花かとも

稲架過ぎて汽車ゆるやかに湖に沿ひ

たわゝなる柿のふるさと後にして

秋の暮その日暮しの手を洗ひ

踝の愛想のなさに秋憂ひ







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「台無し」

台無しの一人も連れて茸山

だれも来ぬ一日松の手入れして

零余子飯その日暮らしの味がして

遠ざかる山をそびらに菜種蒔く

まなこ枯れ風に手探るいぼむしり

くわりんの実とって付けたるごとくして

ポケットの中は闇黒昼の月

つまらない秋の昼寝を覚めてなほ

パンプキンと呼ばれてみても同じこと

見下げたる平和よ蛇も穴に入る

抽斗の中はでたらめ鳥渡る

叱られて釣瓶落としの背戸に泣く


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「未生以前」

聖みな山に隠れて猿酒

韜晦もならぬ余生ぞもみづれる

紫苑晴れ日のあるうちは働いて

もの云はぬまなこはうつろ杜鵑草

つはぶきの夕餉間近の花明かり

椿の実未生以前の硬さあり

蓑虫や鈴のごとくに月にゆれ

死ぬる世を遊び呆けてきりぎりす

芋煮会賽の河原に石積んで

雲のこころ水のこころや秋深く

枕辺は艀のごとし夜や長く

秋の蚊を打ちて淋しき手を汚す






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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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