再生への旅

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zoom RSS 今年一年をふり返って・その2、お寺のことなど

<<   作成日時 : 2015/12/29 22:22   >>

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餅の上に餅を重ねてめでたさよ 玉宗

さて、お寺の今年一年を振り返ろうか。
といって格別のこともなかったと言えば言えなくもないが、無事に一年を過ごせたことがなによりではある。
恒例行持も例年通りに執り行なうことができた。それもこれも、檀信徒の積功累徳のお蔭。そして夫人を含めた寺族の法助があったればのこそ。毎年のことではあるが、実にお寺を護持するということは三宝の鼎を鼎せしめる仏縁の賜であることよと痛感するのである。それは大小に関わりのないお寺の現実である。私は私の力量や器に応じた伽藍の護持をしているに過ぎない。お寺も又、住職と云う一人の人間、仏弟子の人生創造のなせるところのものではあろう。

お寺に対する社会の風潮や宗教行事に対する社会意識の変化が目に見えて来ている昨今の現実。お寺もまた諸行無常の理の埒外ではいられないことを痛感する。お寺や宗教界といった領域に滓のように溜まってきたものがあるのかもしれない。どう抗っても、それはそれで自然に流れ落とされていくにちがいない。

そうではあるが、否、そうであるからこそ、お坊さんはこれからもその本来の存在意義を世に問い続けていかねばなるまい。混迷した社会なればこそ本物や本筋、原点回帰が求められる。それは歴史の教えるところでもあろう。

そういえば、私も夫人も還暦の年ではあった。お互い因る年波といったものを感じるようになってきた。然し、まだまだ弱音を吐いたり、へこたれる訳にはいかない。弟子を含めた子供たちへしっかりと渡すべきものを渡し、継ぐべきものを継いでいかねばならない最後の大仕事が待ち構えている。

弟子も僧堂生活が来年で五年目に入る。早いものだ。大学を卒業した春に新到として山に入ったときのことが昨日のことのようだ。お蔭さまで僧堂でもなんとか間に合うようになっているようだ。後顧の憂いなどせずに仏弟子の道を極め尽くしてほしい。そんな弟子への願いとは別に、来年は兼務寺である永福寺住職としての晋山披露を計画している。

大きな節目ではあるが、人生にはいくつもの節目がある。それもこれも常日頃の今を限りとした人力の積み重ねの因縁ではある。自己が自己に承当する平常心に越したことはない。親は子供を授かったことで親を学ぶ。師匠は弟子を持ったことによって師匠を学ぶ。命は生死を得たことで人生を学ぶ。

欲望の彼岸を、拘りなく、無一物という、ありのままで生きる旅人。仏弟子と云う生き方。来年も又、曲がりなりにもそのような道を歩いて行きたい。


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「骨」

掃き寄せし落葉に凍てし故蝶かな

年の瀬に並ぶ堅気のやうにして

雑炊を平らげ無駄骨らしきもの

妻もまたさびしからめと葛湯溶く

干柿の骨抜きにせし固さなる

遠ざかる銀河に眠る冬芽かな

眼荒ぶと雪見障子を引き上ぐる

骨のある男に燗を熱うして

生き死にの果てなるこゝに日向ぼこ

よく眠る山の背骨が見ゆるなり

年終るしづかな空を見てゐたる






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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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