再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の威儀即仏法・初心に生きる

<<   作成日時 : 2015/12/22 18:35   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


手に享けし成道粥のすぐ冷えて 玉宗

12月23日逮夜は永福寺の成道会である。
興禅寺。永福寺合わせて七回に及ぶお寺の恒例行持があるのだが、それも永福寺の成道会を以って最後となる。今年もお蔭さまで、なんとかお寺のお勤めを果たすことができた。これも、檀信徒、寺族、友人知人等の法愛、法助、法縁の賜である。

小さなお寺ではあるが、今日までなんとか人並に餓えもせず、家族を持ちながらも、仏飯を頂いてきた。そんな平成27年も残りわずか。そして還暦を迎えた夫婦の一年も年の瀬となった。

「法輪転ずれば食輪転ず」とは先代住職のよく口にしていた言葉である。お坊さんとしてやるべきことをしていれば、ちゃんと仏飯を頂けるものだという理屈だけではない、実践をと伴った人生の真相がそこにはある。この歳になってそれが腸深く肯けるようになった。一つの道を極める機根も力量もないというのに二足の草鞋など履けるものではない。

若い頃は理想と挫折の繰り返しと言ってよい。そこには現実をありのままに受け入れ、見入るまなざしや度量に欠けているものだ。理想や正義感だけが先走る。だからこそ、諸行無常の人生から肝に銘じて忘れてはならない事は、自己を買被らないこと、慢心しないこと。そして、同時に自己を見くびらない事、見限らない事、あきらめない事。いつも、只、ここに、今を限りと学ぶ姿勢を貫く、まっすぐな心根、謙虚さ、誠が求められるのである。

そのような仏道の志、初心、こそが一生を通じて自己の燈明を掲げる芯とはなるのである。その芯さえぶれなければ、あとは自己が自己の責任に於いて自己の人生を創るだけのことである。だれも自分に代って人生を生きてはくれない。それは人生とはそれぞれが創るものだからである。誤魔化しの利かない世界がそこに展開している。余所見をしている暇も義理もないものと知らなければならん。

人生という旅を恐れてはならない。侮ってもならない。沖に行けば沖の世界が開けるものだ。それもこれも今を限りと力を尽くし、精進した者が目にするありのままの世界であろう。倅にもそのような世界が開かれることをひそかに祈っている。



画像



画像




画像



「腰を浮かせて」

行きずりのだれかれ遠き冬景色

冬の浜辺は行きて帰らぬ風ばかり

明日知れぬ顔映りけり龍の玉

冬怒涛腰に帯するものもなし

蹲に空一枚や初氷

底知れぬ夜の深さやインバネス

日陰より冬の日向の方へ向く

楪を分けてもらひぬ今年また

年の瀬の腰を浮かせてゐるところ

湯冷めして天気予報を見てゐたる

寝返りをうてば奈落や掛衾

炭竈を出づれば星の煌きよ



画像


「餡子」

父といふ日暮れがまるで冬景色

蒲団干す山のあなたに幸あれと

割烹着の母は最強蒸饅頭

待たされて今川焼のうれしさよ

鯛焼の餡子はさびし甘過ぎて

乾鮭をしゃぶるや故山遠くして

貰ひ湯のお礼に柚子を五つほど

能登沖の空の暗さよ凝鯛

ぼろ市やさほど売る気のないらしく

年用意せうがないねといふ風に


画像


「婿」

けふ冬至鍵を忘れた顔をして

冬凪のまた来ん春とおもひやる

九十の母を浸せし柚子湯かな

妻もそうだが冬至南瓜に歯が立たぬ

むさゝびの月に影してひとっ飛び

雪止んでびっくりぽんや貂の顔

あかあかとまぬがれ難く青木の実

大いなるものが跨げる龍の玉

沖止めの舳に注連を飾りけり

枯園に一糸纏はぬ心地して

腰巻の中は真つ赤ぞ雪女郎

花札の裏は真つ黒雪もよひ

他国生まれの婿が許せぬ竃猫














・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

画像



出版元である邑書林へ申込の方はこちらから↓お求めください。 

邑書林http://youshorinshop.com/?pid=91226737














テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の威儀即仏法・初心に生きる 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる