再生への旅

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zoom RSS 今日の木偶の坊・良寛という存在

<<   作成日時 : 2016/01/07 18:41   >>

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坊守のほとりに熾る炭火かな 玉宗


さて、お坊さんが人様の役に立つ領域とはどのようなものだろうか。自分の問題として確認して置きたい。それはそのまま出家の本懐といったようなものの真偽に関わるだろう。私の理想のお坊さん像は良寛さんである。妻帯して、お寺の住職をしている私など、似ても似つかないと思われるかもしれんが、実はそうなんである。

自らを大愚と号した良寛は、昼行灯とか阿呆のごとく村人に呼ばれ、仏法のぶの字も語らず村の子供らと鞠を搗いて遊び、月夜の強盗には知らん振りを決め込み、墨が無くなれば空に向かって筆をなぞり、庄屋の放蕩息子には涙をもって諭された。そこには仏法とか世法とかの垣根、権威、タブーがない。世界と一体であるような、世界とぶっ続きであるような、求心とか救済といった引っかかりがないのだ。

われを空しく生きることの厳しさ。あるがままに生きることの難しさ。そして、なんともなさ。良寛には間違いなく自己の生死に決着がついている。のびやかに、ひろやかに、しなやかに。そして、たくましく。ひとりごころに徹したその姿が、多くの名もなき民の魂を救った。

自己を縛るものは何か?!

出家とは単に世間を蔑ろにしたり忌避することではない。本当の自由を勝ち取ることだ。出家が再生であるとは自己の信仰に根付くものであるからだ。自燈明。法燈明。闇の世界を自己が灯しとなって自己を照らし、自己が映発し、世界をありのままに受けいれ、無中心という究極の自由自在。欲望の彼岸。生きながら死ぬという涅槃の醍醐味。私がいてもいなくてもなんともないこだわりのない世界と共にあるという一如の様子。

木偶の坊にして、それがそのまま世間の役に立つという仏弟子の生き方があることを私は疑わない。自己を信じるという強為も抜け落ちた解脱の世界。良寛さんにはそんな世界の圧倒的な存在感がある。末世の比丘が憧れる所以である。


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「五日」

手遊びの風に吹かれて松の内

裏白も乾びし風の五日かな

宵越しの腰を浮かせて若菜摘

枕辺に母の手になる春着かな

初めての夜は凄まじ嫁が君

積み上げし達磨の奥や市の主

雀らの騒ぎ見てをり初鴉

楪の日あたりてゐて込み合へり

星孕む空の深さよあまめはぎ

初竈月に寄り添ふ星ひとつ

九十の母へと女礼者かな

寝積むも庭の笹子の喧しき


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「いたいけな」

すれ違ふ寒に入りたる貌をして

小寒と思へり橋を渡るとき

鯨いま息継ぐ月の浦破り

鵲も巣くへる寒の景色かな

いたいけな風が吹くなりパンジーに

毒芹と言はれてみればそのやうに

かまくらの上に雪積む小夜更けて

臘梅にかがよふ玉のひと雫

なまはげの去りゆく夜の帷かな

膝の上に泣きに来る子や団子花

餅ばかり喰うて六日のねぶとかな


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「うすうすと」

七日はや力仕事に汗掻いて

綻びし托鉢衣縫始

めでたさも床の飾りや掛柳

初肥やまだ開け初めぬ空の下

うすうすと味はひ深き七日粥

かまくらや奈落へつづく夜の空

年男ひとかたならぬ顔をして

もう喰へぬ確かに餅は好きだけど

蜜柑ばかり喰うてもをれず用を足す

福寿草光り吐き出すやうにして

まだ生きるつもり七日の爪を切る

薺粥冷ますに息の足らぬ母

ぽっぺんやぽこんぽこんとおちょくって








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