再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 今日の羊頭狗肉・托鉢という清浄行

<<   作成日時 : 2016/01/16 18:50   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


今の世に銭乞ひ歩くしぐれかな 玉宗

今年の寒の入りは一月六日でしたね。
恒例の一人寒中托鉢も今日で11日目を過ぎた。昨日は大本山總持寺僧堂の一行が輪島市内を托鉢し、今年も中食をわが永福寺で点心供養させていただいた。倅が安居中ということもあるが、骨山ながら本山直末に名を連ねている地元寺院としては、心ばかりの功徳を積まさせて貰っている次第。

さて、その托鉢であるがお寺に入ってからも毎年続けてきた訳で、お坊さんになって三十五年余、托鉢をしなかったことがないことに思い至るのである。檀家がないお寺の口漱ぎのためと云われても構わないのではあるが、そこはそれ、仏弟子としての本義にそっての所業であることを一度だって疑ったこともなければ、恥じることもなかった私である。

お坊さんの托鉢と乞食との違いを皆さんは知っているだろうか。
わたくしどもお坊さんは托鉢で物品や金銭の施し・喜捨を受けるのであるが、もとよりそれは強制でも義務でもない。下座行とも言われる托鉢は、仏弟子が先ず施しに値する姿勢を示さねばならない。受ける側が空っぽであって初めて施し物があるべきところに納まるだろう。空っぽになること、それが受ける側である仏弟子の施しである。下座とは卑屈になることではない。阿ることでもない。卑しまれることでもない。下とは上下の下ではない。あるべきところに納まっているということだ。それは無私でなければ叶わないことだ。空っぽでなければ為し得ないことだ。下座行とは生きる姿勢がゼロを視点としているベクトルとでも言うべきものだ。

なぜそのようなことをするのか。自己が無になるため、清浄になるための手立て、威儀即仏法であるからだ。そして施主に施しという同様の清浄行の実践を促している。功徳を積ませているという誇りがある。寄り添いがある。自未得度先他がある。布教がある。開示悟入がある。宗教的大きなお世話がある。

その実践の現場に善人悪人もない。三宝を信じ、仏のまねごとをしようと心掛ける人間の、仏道の感応があるだけだ。托鉢も立派な布教活動である所以だ。

世にお坊さんは三日やったら止められないといったような陰口があるようだが、やれるものならやってみるがいいと言いたい。上述のように托鉢は乞食ではないが、陰口を叩くような手合いはお坊さんが三日できるかどうか、乞食だって三日もできるかどうか怪しいもんである。乞食をするにもそれなりの気合いや絶望がいるだろう。

お坊さんが托鉢で世を凌ぐには誓願、仏道への志が欠かせない。この体は仏道の調度なのである。施しを受けるのも仏道を成さんが為だ。身を施し。心を施し、財を施し、法を施し、生を施し、死を施し、三世を施し、仏道を施す。その実践が私を形作るのである。托鉢だけに限らないが、仏道という清浄行の実践が仏弟子の人生そのものなのであり、世に意義あるものとなるのである。清浄なるものとはありのままということでもあり、無為の法のしからしむるところのもの。

三界唯心、一事が万事に通じていることを毫も疑ってはいない。


画像


画像



画像


画像



「さつきまで」

正月や神の使ひと子を連れて

僧といふ風の如きが寒さうに

禰宜といふ翅の如きが春を呼び

生涯に一度の恋が雪女郎

さつきまで達磨でありし水溜り

おもかげを燠とし眠る雪の夜の

背水の陣といふには着膨れて

われといふ蛻の殻に吹雪くなり

呑まずにはをれぬ男が初場所へ

小正月蜑が女湯にぎはへる

騙されてゐるやうだねと雪が降る

風花や空を欺くやうにして




画像




「雲水二十句」

雲の位のこゝに定まる冬安居

かゝる世に銭乞ひ歩くしぐれかな

雲水の山を出づれば霙がち

水鳥のやうに列なし僧のゆく

僧なればこの世に寒き鈴鳴らし

悴める手もて鉄鉢捧げゆく

てのひらの仄かに紅し雪安居

暁の辰に仕へし寒さかな

面壁の背なに雪降る音のして

背伸びしてみよとばかりに寒昴

寒林に囲まれてゐてやすらけし

雪安居夜の底ひに灯を点し

蒼ざめて雪のゆふべが来てゐたり

仏弟子のさびしさに焚く落葉かな

寒餅を搗くや典座に湯気溢れ

餅喰うて眠るばかりぞ冬籠

遠からぬ春とし思へば我慢もし

寒の水吐き出してゐるお山かな

雲水の遠まなざしや冬の鳥

星屑の落ちたる雪のくぼみかな


画像


「沖」

小正月過ぎし頃より沖焦がれ

篁の空より雪のさらさらと

ごろすけほう懲りずに生きてまた眠る

またもとの二人仏の日となりぬ

冬の浜瀕死の波がうち寄する

母の作りし蒸饅頭や湯気ゆたか

破れたる夢はいづこぞいかのぼり

妻といふ囲はれものが手鞠唄

忙中の厠に聞ける寒鴉

先生が水仙を捻じ曲げてゐる

埋火や明日は素直にならうと思ふ

沖に出るごとく蒲団を引っ被る




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

画像



出版元である邑書林へ申込の方はこちらから↓お求めください。 

邑書林http://youshorinshop.com/?pid=91226737

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
今日の羊頭狗肉・托鉢という清浄行 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる