再生への旅

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zoom RSS 鳳来山永福寺晋山記念事業勧進

<<   作成日時 : 2016/02/06 17:45   >>

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見えずとも仏へつづく雪のみち 玉宗




鳳来山永福寺晋山記念事業ご案内


永福寺(鳳来堂)は昔より霊験あらたかな観音霊場、地蔵尊の祈祷寺として多くの信仰を戴いてまいりました。約百年前に門前総持寺膝下にあった永福寺が輪島の信者の皆さんに守られて来た由緒ある仏さまと合体して今に至り、私・市堀玉宗代まで七世の住職が任を務めて参りました。

その間、社会的にも様々な変遷があり、輪島の宗教事情や市民の宗教感情、意識もまたゆるやかではありますが変化しつつあるところです。しかしながら、社会の変化の中で私どもはお寺の存在をこれからも世に問い続けていかなければならないものと考えております。

ご存知の様に、永福寺には檀家がありません。今日まで多くの信者の皆様に支えられて参りました。つきましては、この度永福寺新命和尚の晋山式挙行に当り、左記の要領で基金を募ります。住職にとっても、信者の皆様にとっても生涯に一度の結縁です。広く布施の願行をお勧めいたします。

お申し込みの方には記念品贈呈の上、法要に当り祈願、供養の回向をいたします。
法要に際しましては、おさそい合わせの上、多くの皆様の参拝をお待ちしております。合掌

晋山式記念事業等の内容

1、平成28年11月3日晋山式大法要
2、記念事業 (境内整備等)
3、記念書籍刊行
4、稚児募集 (募集開始は夏以降)

◎基金募集

晋山式事業基金を次の要領により募集します。 

募集期間 2016年1月より2016年10月まで
募   金 一口・5000円(何口でも結構です)
送金方法 「晋山式基金」と明記のうえ、郵便振替口座でお送りください。
送金先  郵便振替口座 加入者 永福寺 口座記号番号 00750・5・101412





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鳳来山永福寺移転統合百年略史

一、旧鳳来堂由緒

およそ千二百五十年前、即ち人皇四十六代孝謙天皇の天平勝寶七年、泰澄大師能登国御巡教の際、異僧の御告げにより阿弥陀如来を石刻し、念持佛の由緒深き如意輪観世音菩薩と共に大屋の庄横川の地(現輪島市鳳至住吉神社北辺)に一宇を創立し、諸佛を安置し鳳来山誓願寺と号す。
それより八百二十年間余り真言律院として法燈を続照せり。

御佛の霊験日々新たにして遠近の道俗、祈願佛として順礼祈願者多く、時の領主長谷部信連帰依ありて祈願寺として七堂伽藍装備の大寺院たりしが、正新町天皇の天正年間、騒乱の際不幸にも火災に罹り一山尽く、諸記録等悉く烏有に帰し只御佛のみ残り給えり。

其の後、再興を発願するものなく三百年余り廃絶の悲運に沈淪し只仏像のみ民間にて守護し来るに過ぎざるしを以て、光明天皇の安政年間に至り、信者相謀りて鳳来山麓荒蕪の地三百歩を開拓して、明治六年漸く一宇を建て、遷座奉安供養を厳修し、明治八年五月二十三日鳳来堂と命名せしも只雨露を凌ぐのみの粗屋なり。

二、旧永福寺由緒

旧永福寺は曹洞宗大本山総持寺五院の一なる傳法庵の門中塔司寺なり。
開山可屋良悦禅師。其の後世代十二世を経、徳川幕末に五院廃寺とせられたる時、多くの塔司寺も殆んど廃寺となりしも、該寺は本山門中直末寺に編入せられ来たり。明治三年妙応寺住職百衲玄秀和尚十三代目として継承し法地開闢す。

輪島町鳳至の阿弥陀仏堂へ寺籍を移籍する迄、即ち明治四十一年迄、実に文明十二年の開闢より凡そ四百二十年余り本山の膝元に在て御霊塔に奉仕し来たりし古刹なり。

三、永福寺鳳来堂移転統合記 
 
鳳来堂はその昔、誓願寺の本尊佛を守護し来たり。安置堂は小宇なりとも霊験明らかなること近郷の民草広大なる慈恩に浴せざる者なかりしが誓願寺廃絶後誰一人再興を発願するものなし。

降りて中御門天皇の享保三年戍戊(一七一八年)六体の地蔵尊を石に刻して本尊佛脇立として三昧摩地に安置せり。孝明天皇の安政年間に至り信者相謀りて鳳来山東北の麓荒蕪の地三百歩を開拓して明治六年漸く一宇を建立し誓願寺の遺佛を奉安し(明治八年五月二十三日)鳳来堂と名付け朝夕之を供養せり。亦、如意輪観世音菩薩は誓願寺廃絶後住吉明神の社境に於いて一時崇め奉り、当国三十番札所として順礼道者巡拝せり。

年降りて住吉の小堂も朽ち果て、時の肝煎真酒屋清左エ門に預け置きしに、当地に種々怪しき災変あり。御郡奉行村井安左エ門なる人、妖は徳に勝たず邪を拒くに善を為すに如かず。此処に霊威の神仏あらんやと。依って人々予ねて承り伝えし御仏の事を申し、直に只今鳳来山公園に所在する観音堂を建立し安置し奉るに、不思議なるかな変災たちどころに鎮まり霊験昔日に異ならず。此れ享保十六年の事なり

明治六年に至り信者等の協力により一堂を建立す。然れども単なる御堂にして寺号なきを憂い、茲に請願寺復興の念漸く厚く、依って明治十七年八月二十五日堂宇据居許可を出願せり。時の県令より下附せられて同日より阿弥陀佛堂と公称せり。

同四十年一月再び寺号移籍を大本山総持寺へ請願す。同年十一月二日付廃合御添書を得て地方丁へ出願 茲に多年の懸案許可せらる。明治四十一年五月一日移転認可を得る。旧永福寺は本山膝下を離れ山内寺院の格を解かれ、大本山総持寺直末となる。 

多年の念願たる移転問題も幾多の困難を経て現在地に法憧を建て復興の宿志を貫徹するに至りしは佛の霊験に依り佛慈加護を得たる雖も信徒等の努力も無形ならず、日夜寝食を忘れ釈尊一茎草を念じて梵刹を建立するの漢、黒夜に寥々たる星を見るより明らかに。真に其の功労偉大と云わざるべけんや。 

                       昭和八年九月九日謹書  永福六世孝之




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「薄着」

立春や伊達の薄着を着こなして

米を砥ぐ音にも春の来にけらし

干物吹く風のにほひも春めきぬ

春遅々と瀕死の波がうち寄せて

春寒き蔵の小窓に夜空あり

ながらへてまなざし遠き雪解かな

うすらひや灯点しごろを帰るさの

腑に落ちぬ顔し釣られし眼張かな

飯蛸を布施にと置いて行かれけり

うち寄する夢物語桜貝

まだ鳴かぬ鶯なれどうれしさよ


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「ふり返る」

置き去りしものふり返る雪間かな

うぶすなの杜にやつれて残る雪

田遊びや雪に傷みし社にて

佐保姫を呼ぶ口上の懸想めき

春寒き堂に集へり膝寄せて

田遊びや卑猥なことをさり気なく

姥を捨てはだれ山より下りて来し

鶯や他人行儀な近さなる

うすらひや夢があつたりなかつたり

冴返るいつも行くみち帰る道

凄まじき恋に浮かれてゐる尻尾

ゆふぐれは母が恋しき雪解かな



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「窓」

降る雪の流れに洗ふ水菜かな

抽斗の中はでたらめ春の雪

蕗の薹まだ見ぬ夢のあるらしき

しろたへの手を差し伸べし春の波

桜貝子を捨てかねてひろふなり

窓の春一人に慣れてしまひけり

寒明けの風入れ替ふる窓辺かな

病み臥せる窓の向かうや忘れ雪

春ひとり春の川べりどこまでも

遅き春汽車の窓から見てゐたる




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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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