再生への旅

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zoom RSS 今日の自業自得・清濁併せ呑むの生き方

<<   作成日時 : 2016/02/18 18:03   >>

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雪しろの濁りが海へ入るところ 玉宗


夫人に言わせると私は人を見る目が偏っているのではないかというお坊さんらしからぬ評価を頂いている。
事あるごとに人の裏面を指摘するかららしい。私自身、善意を認めるのに吝かではないし、善意を楯に生きていきたいと願っている方ではあろうと自認している。が、人の善意というものが当てにならないものだということも夫人には言いたいのである。

善意で全ての事に当たろうとする夫人が危なっかしくてしょうがないのである。騙されても、笑われてもいい、自分が善意を以って生き、人に対し、人の善意を信じるという夫人の生きる姿勢を美しいとは思っているが、性善説、性悪説という人間性の分類を捨てきれないそのような視野こそお寺の人間らしからぬ脇の甘さではないかと危惧するのである。全ては、自己を省みるところから始まる。

善意と悪意というが、善悪に定めなく、又、人の意そのものは善悪以前の因縁生のものであろう。環境が人の意を作る、社会が人の意を作る、時間が人の意を作る、自己が自己の意を作る、他者が自己の意を作る、他者が他者の意を作る。人間関係が人の意を作る、仏が人の意を作る。いづれも真実であろう。理想通りにはならない現実で、善意に溢れた人間の美しさに感動することも事実であるが、その感動も又曲者である。

本来、悪人というものはいない。本来、善人というものはいない。それが仏教の人間性洞察のスタンスではなかろうか。仏教における人間観察は容赦ないとも言えよう。あるがままの命とは私の都合や欲望を遥かに超えてニュートラルなものの見方が求められている。実相とはそういうものだ。

だからこその関係性の重視なのである。だからこそ身を捨て心を捨てることを尊いとするのである。人は人として生れてはきていない。人となるために生まれ、生きていくのである。現実は無常である。情のある人間の命も又その例外ではない。善意、悪意、その両方に傾斜する可能性を備えている人間性。善悪は無情にして無常である。だからこその世界との一体化するに無私であることが求められるのであろう。

生きるとは既に清濁併せ呑んでいる命の様子のことである。清濁もなく、善悪もない本来性。そして善悪もあり清濁もある現象世界。仏道とはそのような二見や理屈を超越することにほかならない。二見を越えた命の彼岸、実相に価値を見出す生き方がある。

清濁併せ呑んでいる実相を見る目。それは人を見るにも、自分を見るにも欠かせない眼差しであろう。目は外に向き、そして内にも向いている。足は地に立ち空にも立っている。地に倒れ空に倒れ、清に倒れ濁に倒れ、善に倒れ悪に倒れ、自に倒れ他に倒れる。人は倒れたところからしか起き上がることができない。仏道に生きるとはそのような矛盾を超越することでもあろうかと思う訳である。

生きるとは選択することでもあろうか。世に自業自得と云う。在家にも出家にも業がある。仮に黒業・白業として、それぞれが自己の業を引受けて生きて行かざるを得ない。二見の世界か二見を越えた世界か。おまえはどっちを選ぶのかということだ。

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「光り」

一期なる花のかんばせ落椿

猫柳とろとろ水のさゝ流れ

躊躇はず咲いて日あたるクロッカス

水菜洗ふざぶざぶ水を凹まして

種芋や鶏鳴しるきあさぼらけ

これよりのけもの道なり雪割草

蕗の薹光り奏でる水音の

光りあれと芽吹き已まざる牡丹かな

片栗の花の便りや風そよぎ

弟子持たぬ尼が庵や薔薇芽吹く



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「風の色」

鴉来て菜屑浚へる雨水かな

蕗の芽の開かむとして土こぼし

佐保姫のしきりにさそふ風の色

魚は氷に風の子にある蒙古斑

獺の祭土手に月より風吹いて

春の川耳を漱げと云はむばかり

その辺にうち寄せられて残る雪

満作の里に開けし城下町

籠堂出づれば薺花つけて

遠く来て雪割草に屈むなり

雪しろに流されてゆく樽ひとつ



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「出る」

春炬燵出でてそのまゝ海を見に

貼紙に鶯餅が出ましたと

出て歩く膝へろへろと梅の花

安吾忌とおもふ豆腐を買ひに出て

虫出しの雷にもめげず交るなり

猫と生れ未生以前の恋をする

出無精の母へ二日の灸かな

出世など上の空なる鳴雪忌

出てみれば北方領土霞むなり

沖を恋ひ穴を出たがる鯥五郎

出藍の夢みる春の眠りかな








鳳来山永福寺晋山記念事業ご案内


永福寺(鳳来堂)は昔より霊験あらたかな観音霊場、地蔵尊の祈祷寺として多くの信仰を戴いてまいりました。約百年前に門前総持寺膝下にあった永福寺が輪島の信者の皆さんに守られて来た由緒ある仏さまと合体して今に至り、私・市堀玉宗代まで七世の住職が任を務めて参りました。

その間、社会的にも様々な変遷があり、輪島の宗教事情や市民の宗教感情、意識もまたゆるやかではありますが変化しつつあるところです。しかしながら、社会の変化の中で私どもはお寺の存在をこれからも世に問い続けていかなければならないものと考えております。

ご存知の様に、永福寺には檀家がありません。今日まで多くの信者の皆様に支えられて参りました。つきましては、この度永福寺新命和尚の晋山式挙行に当り、左記の要領で基金を募ります。住職にとっても、信者の皆様にとっても生涯に一度の結縁です。広く布施の願行をお勧めいたします。

お申し込みの方には記念品贈呈の上、法要に当り祈願、供養の回向をいたします。
法要に際しましては、おさそい合わせの上、多くの皆様の参拝をお待ちしております。合掌

晋山式記念事業等の内容

1、平成28年11月3日晋山式大法要
2、記念事業 (境内整備等)
3、記念書籍刊行
4、稚児募集 (募集開始は夏以降)

◎基金募集

晋山式事業基金を次の要領により募集します。 

募集期間 2016年1月より2016年10月まで
募   金 一口・5000円(何口でも結構です)
送金方法 「晋山式基金」と明記のうえ、郵便振替口座でお送りください。
送金先  郵便振替口座 加入者 永福寺 口座記号番号 00750・5・101412




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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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