再生への旅

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zoom RSS 俳句の可能性・何気なさがとらえるもの

<<   作成日時 : 2016/03/03 17:04   >>

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これよりのけもの道なり山菫 玉宗


俳誌『竅xの同人作品評を頼まれたので書いてみた。原稿である。


冬の雁馬関越え来しこゑを出す  西川文子

氏の作品にはジェンダーを越えたモノローグの色合い、肌触りが濃厚である。ときに教養俳句のオブジェとかすことがある。「冬眠の亀が首出す一里塚」これなどもそうだが、俳諧的である。作者がそれを良しとしているのかどうか解らんが、自己の感性に殉じようとする潔さがあることは間違いないだろう。

冬麗の翼を張りて富士裾野    石島  岳


鶴翼のごとき富士の裾野が一段と冴え渡る冬麗の景色。凛とした空気感と聳え立つ富士の遠景。有無を言わせぬ写生力がいい。

鉛筆を削らう月の冴えわたる   有住洋子

因果関係がありそうでない月の冴えと鉛筆を削ること。理屈を超えてしのび寄る寂寥。耐えられないとばかりに鉛筆を削ろうと自分に呼びかけている。

村はづれの墓に日当り山眠る   鹿野佳子

私の住む能登ではすんなりと共感できる情景。しづけさに耐えられない街の人間では目もくれない素材かな。自足した、無欲なまなざしが感じられる。「木の上の庭師に呼ばれ日短」「雀らのとびこみやまぬ一冬木」どちらも作者の知足の眼差しが感じられて心地よい。

キオスクにマスクいろいろ二つ買ふ 飛鳥 蘭

座五のとぼけた感じが現代のマスク事情を描いていて何気ない良さがある。「二つ買ふ」という正直さにリアリテイーがある。「風呂吹や知らぬ間に雨過ぎてゐる」何気なさが気づく一瞬の光りがあるだろうね。俳句定型詩はそれを掬うことができる匙のようなものかもしれない。

あつさりと土を離るる大蕪    本杉純生

蕪を畝から引くと意外とあっさり抜けるものだ。根が縦よりも横に多く張っているからだろうか。「土を離るる」という力の抜けた、そして正確な写生がいい。「友の家を外套重く出でにけり」語らずして語るっていうんですか、「重き外套」ではなく「外套重く」と描写したところに詩がある。

湯豆腐や夜も瞭かな京の雨    山崎満世

「瞭か」明瞭の瞭である。「あきらか」と読むのだろう。京の夜の華やかさ、雅、芝居地味た賑わいに降る雨。路地多き京の街の夜の灯りに降る雨。湯豆腐の味わいにふさわしい京の夜の深さが感じられる。


焼芋を包んでゐたるテロの記事  須藤昌義


焼芋がテロに遭った被害者の骸か肉片に見えてくる。遠つ国の悲惨さを余所目に焼芋を買いあさる。焼芋など良心を問われて買える代物ではない。肩を窄めて早々に帰路に着く市民の姿がある。

夫を呼ぶ声はばからず年用意   赤沼青以


なぜか夫より妻が主導権を握る年用意。世の夫たるもの年末に呼ばれるだけでも可としなければならない。
「たそがれてゆらりと海の寒さかな」夫たるものこの句にある海のような存在でありたい。「海の寒さ」とは大雑把なようでゆるぎない感性が迫ってくる。

除夜の鐘八つ残して母眠る    秋元悠子


百まで数えたのだろう。区切り方は人さまざま。数えたは母だろうか、子だろうか、一緒だろうか。年を超える家族の息災に感謝し祈る日々の延長である年の夜の情緒が漂って何気ない。

脱ぎすてし外套にある息づかひ  鬼形むつ子

「脱ぎ置かれ」ではなく「脱ぎ捨てし」といったところに外套を着ていた人間への寄り添い方、温度差があるかもしれない。脱ぎ捨てられたのは作者のものではなく、他者のものではなかろうかと思わせる所以。

置き去りの自転車土手にしぐれけり 勝田喜世

昔、イタリア映画で「自転車泥棒」というのがあったように記憶している。イタリアに時雨の情緒は似合わないこともない。いずれにしても時雨の句として新鮮であった。

冬の朝三河安城下車二人     篠原悠子


三河安城駅というのがあるらしい。東海道新幹線と、在来線の東海道本線が乗り入れる乗換駅。何故か冬の朝が動かない。

それぞれに違ふひとりの日向ぼこ 島田碩子

「それぞれに違ふ」といった観察、発見を理屈ではないかといった見方もあるかもしれないが、それこそ理屈であって、作者の感性の所産ではあるに違いない。換言すれば季語と一体となったということではないかな。

理科室の棚のビーカー寒波来る  宗像アヤ子


既視感のある句だがわるくない。誰もが感じていた現場を一句にする力量の差がある。以下の三句もそんな感性が描きだしたものだろう。「疑心暗鬼かたちにすれば海鼠かな」「梟やめがね補聴器外し寝る」「マフラーに顔を埋める発車ベル」個性とはなにもないところから何かを創り出すことではない。あるところから何かを足したり引いたりする能力のことを云うのではないかな。そんなことを思わせられた。

集合は八重洲北口着ぶくれて   白庄司倫子

「は」が説明っぽいだろうか。それとも季語の意外性を演出する機能を果たしているとみるべきだろうか。私は一読後者だった。「着ぶくれて」という座五の置き方がそうさせたのだろう。

靡かぬは靡かぬままに枯尾花   太田喜代

たしかにその通りであると感じざるを得ない詩的説得力がある。それもこれも何気なさを見過ごさない写生力のなせるところ。詩人は言葉に敏感であらねばならない。

滾る湯にひと匙の塩雪催     平野典代

「雪催」がいい味、雰囲気を醸し出している。取り合わせは季語の現場でなければ新鮮さが出せないようなところがあるが、それは時空を超えている。リアルでありながらリアルを超えている。即かず離れずとは作者の感性の豊かさを語るものだから。

四方に湯を飛ばして餅の搗き上る 鶴岡容子

餅搗きの最後の一振りに力を込めたのだろう。臨場感のある一句となった。一句の焦点が決まっている。「原つぱのありし昭和よ霜柱」懐旧の一句。季語が蘇る。或いは季語が感性を再生させる奇蹟がここにある。

海鼠喰ふなまこのやうな男かな  下村博士

面白すぎるきらいがあるが、それは感性が独自ではないからではないだろうか。動物を擬人化するということはよくあること。つまり月並みの危うさがあるということだろう。この場合は一概に批判できないが、もう少し離して擬人化するという手もあろう。例えばの話だが、「海鼠喰ふ夜空のやうな男かな」とか。駄目かな。妄言多謝。

買物代行車の往く枯野かな    筑田としお

だらだらと切れがない一句ではあるが、そんなとりとめのない調べが、妙に力の抜けた枯野の風情に相応しいからおかしい。「往く」としたのはときどき枯野を往復する様子を見ているからだろう。そういう意味では風土愛があるね。「条幅の勢ひの余白冬日差」「ラジオより五代目小さん小夜時雨」風流人の面影が躍如としている。








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「徒然なる」

まだ母の帰らぬ紙の雛祭

夜や空の調べ古りたる雛かな

たもとほる雛の琴線ありにけり

徒然なるままに雛の客となる

雛あられ腑抜けの味がしてならぬ

灯を消してさざめく雛の夜なりけり

吸殻の刺さる火鉢や雪の果

雪名残り角質削りゐたる間も

春の霜二の足を踏む音のして

生きてゐる覚束なさに下萌えて

春灯の煌々として憂かりけり



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「袖」

ない袖は振れぬと梅を見て歩く

手すさびに摘みし蕗の芽手に余る

佐保姫の裾を捲るに籠持ちて

手に負へぬものの一つに猫柳

越後屋の裏へ廻れば亀鳴きぬ

春愁が苺大福二つ買ふ

村の子の出払つてゐる雲雀かな

遅れないやうに春菊摘んで来し

杳として立ち現るゝ恋の猫

音もなく雨降りゐたるもの芽かな

手付かずのノートの余白茎立ちぬ



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「いそいそ」

あかときのうなじに寒き初音かな

沖を見る背なに隙あり春の雲

寒くとも二人はよけれ梅の花

木漏れ日とみればかたかご群れ咲いて

春の鵙いそいそ空の明け暮れて

大海を母としいそぐ春の川

先生はときどき他人黄砂降る

囀や知らぬ間に空晴れてゐて

本流を呑み込んでゐる山霞

停戦は嘘かもしれぬ雉子かな



鳳来山永福寺晋山記念事業ご案内


永福寺(鳳来堂)は昔より霊験あらたかな観音霊場、地蔵尊の祈祷寺として多くの信仰を戴いてまいりました。約百年前に門前総持寺膝下にあった永福寺が輪島の信者の皆さんに守られて来た由緒ある仏さまと合体して今に至り、私・市堀玉宗代まで七世の住職が任を務めて参りました。

その間、社会的にも様々な変遷があり、輪島の宗教事情や市民の宗教感情、意識もまたゆるやかではありますが変化しつつあるところです。しかしながら、社会の変化の中で私どもはお寺の存在をこれからも世に問い続けていかなければならないものと考えております。

ご存知の様に、永福寺には檀家がありません。今日まで多くの信者の皆様に支えられて参りました。つきましては、この度永福寺新命和尚の晋山式挙行に当り、左記の要領で基金を募ります。住職にとっても、信者の皆様にとっても生涯に一度の結縁です。広く布施の願行をお勧めいたします。

お申し込みの方には記念品贈呈の上、法要に当り祈願、供養の回向をいたします。
法要に際しましては、おさそい合わせの上、多くの皆様の参拝をお待ちしております。合掌

晋山式記念事業等の内容

1、平成28年11月3日晋山式大法要
2、記念事業 (境内整備等)
3、記念書籍刊行
4、稚児募集 (募集開始は夏以降)

◎基金募集

晋山式事業基金を次の要領により募集します。 

募集期間 2016年1月より2016年10月まで
募   金 一口・5000円(何口でも結構です)
送金方法 「晋山式基金」と明記のうえ、郵便振替口座でお送りください。
送金先  郵便振替口座 加入者 永福寺 口座記号番号 00750・5・101412




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市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

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