再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 親子の世界

<<   作成日時 : 2016/03/06 17:17   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


親離れ子離れ月も朧なる 玉宗



弟子は今春で5年目の僧堂生活に入ろうとしている。目と鼻の先にいるとは言え、近くて遠い結界がある。一期一会の今生で、親子となり師弟となった縁。互いを思いやることは出来るが、それぞれを代って生きることが叶う筈もない。親子と雖も、師弟と雖も、それぞれが絶対の存在者である。ひとりし生まれ、ひとりし生きて、ひとりし死す。ひとりとは云っても孤立ではない。関わり合いながらも、それぞれの諸行無常を生きなければならない永遠に不滅のいのちの在り様。思えば不思議な事実である。確かに理屈を越えている。関わりあわなければ危うい存在であるならば、「私」に拘る要もないようなものだが、関わり合いの中で様々な分別を働かせているのが実際のところ。人は分別することで彼岸の岸から自ら離れていく。何かと一体であった記憶を持ちながら魂は流浪し続ける。それは殆ど宿命のようにさえ見える。

人生を顧みて思うに、「わたし」とか「ひとり」とか「孤独」といった「観念」は自己を守るものでもあり、且つ危険に晒す代物でもあろう。思っても思わなくても、ものたりなくてもものたりても、わたしがいてもいなくても、なんともない世界が内にも外にもある。今、ここに、息を吸って吐いている事実。この諸行無常以外のどこに有難いものがあるというのだろう。一寸先は闇なればこそ、存在そのものの光りに目覚めなければならない。子供という存在は不思議なものである。その眼差しは親の存在を理解するのではなく、理解以前にまるごと受け入れているようなところがある。或いは、丸ごと受け入れようとしているようなところがある。親はそんな子供のこころに出会い、ときにうろたえるのである。だれもこんな風に私を見つめてくれる存在はないことに。

わが青春時代を顧みて思う事は、親への割り切れない反抗や同情が入り乱れた愛憎を抱いていたものである。家族というあたたかくも、ときに柵となる支え合い。感謝する日もあろう。怨むこともあろう。そのような最小にして最大の愛の暮らしの中で、人を学び、生を学び、死を学び、社会を学び、家族を学び、人生を学んでいく。
親は子を愛おしく、ときに哀れとさえ感じるものだ。自分のような親のもとに生れたことへの申し訳なさ。
同じように子も又親に対して同様の感情を抱いているに違いない。自分のような子を授かったことへの無力さ。
子のこころには親を支えてあげたいという心理が隠されているのではないか。子は親を捨てるに忍びないと思っているのかもしれない。
 
子の存在は全て親である私の生き方の反映、鏡である。家族という関わり合い、縁のなかで、子は親の、親は子の可能性を信じ、広い世界で生きてほしいとお互いに望んでいるのである。家族も又、乗り越えなければならない人生の壁である。仏弟子と雖もその例外ではない。親が存在しなくなって子は気付くのである。だれもあんな風に私を愛してはくれなかったと。親は子を授かって気付くのである。子を自立させることが親の使命であることを。親は子を、子は親を選べない。選べないからこそ、それはお互いに人生の宝なのである。宝をどう活かすことが出来るのか。それこそが私にとって人生の意義でもあろうし、神様の思し召しというようなものであろう。



画像



「蹼」

朧月われに蹼あつた日の

羊水の記憶を今に春愁ひ

臍の緒の行方も知れぬ朧かな

東風吹くや輪島曳山まだら節

昼酒を抛り出されて鳴く田螺

朝に夕に月をしたがへ龍淵に

能登はまだ蕾ぞ桃の節句にも

あたたかや嘘を吐いてもつかれても

裏門を出でてほどなく葱坊主

文弱に骨あり亀を鳴かすなり

父母を残して鶴の帰りけり



画像


「なにげなく」

なにげなく聞きとどめたる初音かな

菫ほどな美しき出会ひもなかりけり

頼まれもせずに土筆を摘んで来し

昼過ぎて日の衰へし薺かな

たんぽぽの嘘が気なる黄なりけり

かたくりや光りにふるへ風にゆれ

木の芽吹き星の瞬く山家かな

引き波に足をとらるゝ荒布刈

生きながら伝説となり霞むなり

ものおもふおもかげふかき椿かな



画像



「仏」

啓蟄やじゃんけんいつもぐうばかり

月といふ朧の閨がよく見えて

死にたがる母に二日の灸かな

龍淵に仏弟子山に潜みけり

龍天にぽっくり寺の賑はへる

鷹鳩と化して大仏宝殿に

仏みな遠きまなざしあたゝかし

佐保姫のそれは大きな臍の胡麻

わが庵は薺花咲くばかりにて

ぶらんこに乗るには夢が無さ過ぎて

菜の花にドアを開けたる路線バス







鳳来山永福寺晋山記念事業ご案内


永福寺(鳳来堂)は昔より霊験あらたかな観音霊場、地蔵尊の祈祷寺として多くの信仰を戴いてまいりました。約百年前に門前総持寺膝下にあった永福寺が輪島の信者の皆さんに守られて来た由緒ある仏さまと合体して今に至り、私・市堀玉宗代まで七世の住職が任を務めて参りました。

その間、社会的にも様々な変遷があり、輪島の宗教事情や市民の宗教感情、意識もまたゆるやかではありますが変化しつつあるところです。しかしながら、社会の変化の中で私どもはお寺の存在をこれからも世に問い続けていかなければならないものと考えております。

ご存知の様に、永福寺には檀家がありません。今日まで多くの信者の皆様に支えられて参りました。つきましては、この度永福寺新命和尚の晋山式挙行に当り、左記の要領で基金を募ります。住職にとっても、信者の皆様にとっても生涯に一度の結縁です。広く布施の願行をお勧めいたします。

お申し込みの方には記念品贈呈の上、法要に当り祈願、供養の回向をいたします。
法要に際しましては、おさそい合わせの上、多くの皆様の参拝をお待ちしております。合掌

晋山式記念事業等の内容

1、平成28年11月3日晋山式大法要
2、記念事業 (境内整備等)
3、記念書籍刊行
4、稚児募集 (募集開始は夏以降)

◎基金募集

晋山式事業基金を次の要領により募集します。 

募集期間 2016年1月より2016年10月まで
募   金 一口・5000円(何口でも結構です)
送金方法 「晋山式基金」と明記のうえ、郵便振替口座でお送りください。
送金先  郵便振替口座 加入者 永福寺 口座記号番号 00750・5・101412




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市堀玉宗第三句集『安居抄六千句』

画像



出版元である邑書林へ申込の方はこちらから↓お求めください。 

邑書林http://youshorinshop.com/?pid=91226737






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
親子の世界 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる