再生への旅

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zoom RSS 今日の諸行無常・さくら雑感

<<   作成日時 : 2016/04/05 19:16   >>

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空とひらく花のかんばせ四月来る 玉宗


先日、輪島の古老俳人が一人亡くなった。奥様も二年前に失くされており、やはり桜のころである。夫婦で俳句を嗜んでいた。お二人とも優しい面影ばかりを遺されて他界されてしまわれた。結社は違うが、市内の合同句会に声を掛けて下さったり、お寺のお付き合いも熱心にして下ったような方々である。私など、孫のような存在であっただろうが、俳人仲間としても、お坊さんとしてもよくして戴いたのである。

「掌に享けたる花のぬくみとも 玉宗」

その方への弔句である。
氏は生前に「桜百句」なる句集を出されて、序文と選句などを頼まれたりもした。誰にでも穏やかに接しておられたのが印象的である。その俳句もまた、氏の人間味が滲み出ていて、紛れもないものであった。


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桜と言えば、永福寺の裏山は鳳来山とも観音山とも呼ばれている。以前は桜の名所で知られていたが、最近では地元の人も花見に登ってくることも少ないようだ。輪島は花どきと言っても風がまだ冷たいときがある。鼻水垂らして花筵を引いて一日宴に興じることもないのだろう。花見の観光地も多くあり、車があれば好きなところを選べる時代である。その桜も咲いている期間は短い。あっという間と感じることがよくある。いつの間にか葉桜になって落胆したりする。花と一緒に葉っぱが出て来る山桜は確かに野趣に富んでいる。

 
生れ故郷である北海道の桜と云えば山桜が思い出される。北海道の開花は五月。桜だけではない、躑躅なんかも時季を同じくして一斉に咲きだす。私には家族で花見をしたという思い出がない。花見のころには畑仕事もまた本格化するからだ。それは母の役割であったし、父は父で冬場の挽回をするかのように春の海へ出て漁をしていた。両親とも花見どころではなかった筈である。それでも子供には放任主義的なところがあって、春の山や海へ行っては遊び呆けていた私であるが、桜と遊んだ記憶はない。桜は大人の花であるというのが私の実感であった。
 

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まあ、いろんな意味で桜は、なんか、切ない花ではある。華やいでいるようでいて、人を寄せ付けないよそよそしさ、冷たさ。見ていてなぜか落ち着かない花である。人間が思いを寄せ過ぎたのではなかと哀れになったりもする。神話や歴史や鎮魂や大和心などの象徴としての存在。諸行無常の文脈から逃れなられない宿命の花。そういう意味では酒を呑まなければとてもまともに付き合えないようなところがあるのかもしれない。花見酒にもそれなりの理由があったのだろう。私は酒というより花より団子ではあるが、素面で桜と真向かえる人は、人間らしさに欠けるという意味で信用できない、と言っては云い過ぎかな。



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「転生」

いつまでも鬼が迎へに来ぬ暮春

人を焼く煙り蕨山

泣けるだけ泣いたる桃の花かとも

転生の声をかぎりや山桜

木瓜の花見てゐて座五を忘じけり

遅き日を堪りかねては寝てしまひ

草餅や母の味して以来なる

田鼠化しておろおろ走る鶉かな

まだ肉の重さの椿掃き寄する

春愁に花舗の明るさ困るなり

春雨やはつきりしない男たち

仏弟子も腋毛は剃らず花曇


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「ゆきずり」

ゆきずりのまなこにうつるさくらかな

花冷や手のひらほどの淋しさの

鳥の道けふは雲ゆく桜かな

咲きみちて花の翳りといふものを

パンジーに通りすがりの風吹いて

辛夷咲く空の眩しさありにけり

おかはりを母のよろこぶ木の芽かな

草餅やほとけの母のおさがりの

明日は別れと菜飯こさへてくれにけり

治聾酒も叶はぬ遠き母なりき




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「こゝち」

あたゝかや何か忘れしこゝちして

装束の稚児行列や風光る

遠足を戻れば家の貧しさよ

また同じ夢見て春を愁ひたる

餅にする蓬を摘んで来いといふ

磯遊び沖に白雲浮かばさて

春夕焼け遊び足りない子どもたち

空とひらく花のかんばせ四月来る

利休忌の障子に草のかげろひぬ

花冷や行方の知れぬこゝちして

達治忌の月の港に眠るなり


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