再生への旅

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zoom RSS 今日の現成公案・初心の弁道

<<   作成日時 : 2016/04/08 17:18   >>

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菜の花や僧となる子に海見せて 玉宗


昨日は越前の御誕生寺での得度式に随喜した。
新発意の師匠は札幌の大忍寺住職・菊地悟空老師。大乗寺修業時代以来の友人である。共に板橋興宗禅師様から得度の因縁を頂いている仲間。その菊地氏の御子息が板橋禅師の戒法を受けて仏弟子の仲間入りとはなったのである。不肖、輪島から親子ともども駆けつけて祝筵に列した訳である。

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今年90歳になられる禅師様。足腰が少し弱くなられたご様子だったが、式が始まると、力強いお声で式文を読みあげられ粛然たる雰囲気を醸し出されていた。親御さんやご親戚の方々も感激の様子。
40年近く以前になる私の得度式のことなどを思い出しながら坐っていたことである。

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式後の口宣では、初心の疎かならないことや仏弟子としての誇りをもって生きてゆくことを諭されておられた。
諺に、終わりよければすべてよしとある。本来は、ものごとは最後の締めくくりが大切であるということなのだろうが、世間では結果がすべて、取り繕ってまでしても結果の見栄えの良さを問題にしているかのようである。其処はお坊さんとしては俄かに肯けないところ。「発心正しかざれば万行空し」というお示しもある。何を以って「よし」とするのであろうか?お金、名誉、家庭の安寧、等々、それは畢竟自己満足の領域をでないのだろうか。欲望の延長線か、欲望を超えた世界か、私はどっちを向いて生きて行こうとしているのか。

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われわれの日常は、大なり小なり社会的(平面的存在)であり、また文化的(垂直的存在)でもある。家族も国家も社会的にして文化的営為であるのが真相であり、それは欲望充足的な世界である。家族、教育、芸術、宗教、経済、産業、風習、等々、文化的日常とは社会人でもある個人の欲望を支え充足させる形でもある。そうであってこそ社会性は人間の基盤と成りうるのではないか。そのような流動的な社会の中で、今を主体的に、充実させ、自己清算的に生きることが可能なのだろうか。その実現には私がどのように社会と関わっていくかという姿勢が試されるだろう。人として大切にしなければならないもの、それは社会性と共にそれを支える精神性の充実であることは間違いない。

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ところで私の見た限り、人生の時々において人間は間違いや失敗などを為すことが多いのが相場である。いつ終わるともしれない儚くも危うい人生。思いもしない突然の締め切りに迫られるかもしれない、予想できない現実がある。私は今日死んでもよしと言えるだけの生き方をしているだろうか。あやふやなままにときを過ごしてはいないか。古人の言葉はそんな私への覚醒のことばであり、生きる方向付け、軌道修正の大切さを言っているものとして受け取りたい。

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誰もが精一杯いきているだろう。それでも間違うのが人間と言うものの現実相ではなかろうか。大事なことは、過ちを糺すに憚ることない柔軟な精神であり、そのような姿勢こそが人生を創造的なものにする可能性があるのではないか。人はその銘々の人生に目標を掲げてこそ、その実現のために努力ができる。目的や使命感を欠いた今の自分のあり方に人生の価値や意味を見出すことは困難であろう。

人生の方向付けがあればこそ、生まれてきた価値や意義が見出せる。そうであってこそ、人生を創造するプロセスや生きている今の瞬間に力を尽くせるというものだ。そう云う意味では、初めの一歩こそが人生の大事を決定付けるものであり、生きるとは、終りを当てに出来ない今をありのままに受け入れ前向きに歩むことに尽きるのではなかろうか。欲望の延長線か、欲望を超えた世界か、私はどっちを向いて生きて行こうとしているのか。その始めの一歩が試されている。





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「道のベ二十句」

春一人ひとりしづかに傷ついて

みちのべの草の丈にも春深く

いぬふぐりぺんぺん草と見て歩く

山里のこれよりひらけ桃の花

葉隠れの八重山吹の黄なりけり

鬼が泣く原っぱ杉菜伸び已まず

卵生もならず覚めたる春の夢

道のべに朽ちてし已まむ落椿

花びらに空の冷えあるさくらかな

初恋や白詰草を編みあげて

たらの芽を摘んでは空を淋しうす

たんぽぽや愛されてなほ不安なる

先生の実家へ蕨狩りながら

身を捨つる谷の深さよ山桜

明日葉を辿ればいつか海見えて

海原は風の墓域ぞ鳥雲に

虎杖やウラジオストク三千里

花すみれ胸の高さに沖があり

最果ての風に慄く木の芽かな

打ち寄する波の音にも逝く春ぞ


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「出家」

山笑ふ見渡す限りたまゆらの

いふなればこんなところに花木五倍子

花冷えの街に未練もなかりけり

豆の花ぽんと仏弟子生まれけり

陽炎のかたちに僧のできあがり

法名を貰ひ甘茶を煮る男

仏弟子は意外とエロス春の泥

家を出てみればものみな朧なる

越の国前中後ありあたゝかし

加賀を出て越に隣りす春田かな

花人に紛れて旅よ雨ながら

風なだらかに越前平野麦青む



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「朝」

逃水の向かうへ母を置き去りに

あかときの夢の深さや鳥帰る

這ひ上がるごとくに春の夢覚めて

囀りやなす術もなく朝の来て

骨のまだ燃ゆるごとくに陽炎へる

恋猫の眼潰れてゐたりけり

蟻穴を出でて社を拝したる

山桜空がだんだん怖ろしく

込み合うて溢れてなだれ雪柳

海棠やきれいな朝の来てゐたる

愛少なき街にし生きて花水木

鳥雲に仏弟子山へ上りけり







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