再生への旅

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zoom RSS 今日の以心伝心・本心ってなに?!

<<   作成日時 : 2016/04/11 17:57   >>

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木蓮のひたぶる空のありにけり 玉宗


本心とはなんだろうか。人生には本心に拘らなければならない理由があるのだろうか・

辞書的には、 本当の心・真実の気持ち・本来あるべき正しい心・良心・たしかな心・正気・本来の性質・うまれつきといった説明がある。説明だけで自己決着ができるならば人生など実に簡単なもののようだが、そうはいかないのが現実の奇なるところ。

人は私の本心を知りたがっているのだろうか。本音を知りたがっているのだろうか。そもそもが私は本音で生きたがっているのだろうか。本音を語りたがっているようなのだろうか。本人が一番よく知っていそうなものだが、そうでもない様にも見える。本人が無意識のうちに脚色していることだってありそうだ。

本心の正体といったものが本人自身さえあやふやなのだから、そんな本心を言われた相手も、よくも悪しくも戸惑うことだってあろうというものだ。人の本心とは相手を傷つけもすれば癒しもし、自分を傷つけもすれば迷わせもし、理解されもすれば誤解されもする可能性は十分にそなえていよう。いかにいわんや本心でないものにおいてをや。本心も本音も「思い」であるにはちがいない。「思い」「妄想」という「泡沫のごときもの」であるには違いない。

たしかに泡沫の如き本心、本音といったものはあるだろう。本音でいきる、といえば如何にも勇ましく、正義がありそうだが、然し、仏弟子にとってそのような訳の分かったような解らないもの、つまり危ういものに執着するよりも、地に足を付け、空にも実にも堕せず、浮かれない生き方があるのではないかろうか。

本心といったところで、それはいったいだれの本心なのだか。神様だってとても本心でおられるようにはみえない。本心をあからさまにするより大事なものがあるのではないか。ありのままに生きるという逞しさを得るために、「無心」であることが最優先に求められているのではなかろうかと、私なんかは思っている次第。



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「翳」

仏生会空に翳するものもなし

沈丁の免れがたき香なりけり

雁の去りゆく空の深さあり

途方に暮れて杉菜の森に踏み込みぬ

花の雲娑婆捨山の峠より

泣けるだけ泣いたひだるさ蠅生るゝ

柳陰面影ばかり往きすぎて

たもとほる陰は年増の柳かな

野蒜摘む厭になるほど生きてきて

大概のことは恕せる田螺かな

菜の花を過ぎてほどなく海の見え

人棲まぬ八重山吹の黄なりけり

つばくらの空に遮るものもなし

チューリップ難ありとせば翳のなき


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「楽屋裏」

をととひが虚子の忌日でありにしか

虚子の忌のふぐりたゆたふ湯殿かな

もののふの身はまぼろしの丈草忌

マナーモードに佛生まれて来たる日の

連翹のぐいぐい迫る黄なりけり

初蛙土管の中の声発す

潮まねき沖遠くして哀れなる

筍飯有無を言はせず馳走せり

囀りやいつもどこかの楽屋裏

咲き満ちて泡立つごとき馬酔木かな

言ひ出せぬまゝに蕨を狩り進む

この辺が桜団地であらうかと

頼まれもせぬに野蒜を摘んで来し


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「てのひら」

てのひらのうらさびしさよ啄木忌

春愁や便りなき日の肉叢の

鳥雲について来るなといふやうに

春の空まだ見ぬ夢があつた日の

春の雲見てゐて腹を空かせをり

春灯や家に希望があつた日の

ぶらんこに乗るといふより蟠り

初蝶来てのひらほどのあかるさの

まう喰へぬ肉のひだるさ田螺鳴く

花冷やうしろ姿のつめたさの

春昼の柱時計が狂ひたがる

花人やみな行きずりのまなざしの




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