再生への旅

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zoom RSS 無常という海原

<<   作成日時 : 2016/05/01 15:45   >>

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大手毬こでまり妻の声弾む 玉宗

仏道はいのちの話のことである。
そのいのちたるや、諸行無常の理を条件としている。無常に私の恣意を入れるような容赦はない。無常は私の都合に頓着しない。実にあっけらかんとしたものだ。取るに足りない私という存在を無きに等しいものとし、そしてときに拒むこともない世界でもある。歓喜の有頂天に眩しいこともある無常の世界。悔し涙に恨みたくなる無常の世界。生きている私にとって地獄でもあり極楽でもあり得る世界。ときによそよそしく、ときに微笑みかけて。

無常、それは人の世の奈落ともなり、そして再生の拠り所ともなる。人生は倒れたところに足を踏ん張って何度も起き上がることを試されている。危うく、儚い無常の海原にしか私の生きてゆくという志が通じるところはない。志がなければそれは生きながら死んでいるに等しい。人間は志を持たなければ生きていけない動物であると言ってしまってもあながち強弁とも言えぬだろう。そのような存在者である人間にとって死とは避けて通れない最後の褒美のように見えなくはない。

私の志、それは海鳴りに掻き消されるような代物である。そうではあるが、「今」にいのちの限りを尽くし、無常の流れに任せて生きてゆく。それ以外のどこに私の生きる場所・死に処があるのというか。そして人生の意義、生きる価値といったものがそれ以外のどこに見出せるというのだろうか、私にはわからないのである。

今日も無常の海原を泳いで行こう。沖にでて失くすものがある。沖に出て見えてくるものがある。人生をあきらめるにはまだ早いだろう。否、早くも遅くもない、今があるばかり。永遠とは今を生きているいのちの深さのことだ。絶望も希望もかなぐり捨てて、今という永遠なるものを泳いでいこう。まだ私には無常の沖があるようだから。



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「遊ぶ」

死ぬる世を遊び呆けて永き日を

子雀が遊び足りない顔をして

昼酒は国を滅ぼす蛙かな

種馬の眼あきあきしてゐたる

鳥雲に入るやぞろ目が揃ひけり

遊ばねば大きくならぬ子猫かな

野遊びのどこか本気になれぬなり

筍や草にも木にもなれずして

蛇穴を出でてパチンコ屋の裏に

花魁の如くにねまる孕み鹿

涙目に菜の花あかり眩しくて

だれか来てこの指止まれ初蝶来

花水木空気が旨ひ日なりけり

もう二度と帰らぬ磯に遊ぶなり


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「言ひ訳」

首垂れてご機嫌斜めチューリップ

筍飯食うて満足したるのみ

花守や言ひ訳ほどの仕事して

いろいろあつて終の棲家のさくらかな

朧なる夜の手触りありにけり

奥能登は草の餅さへ月遅れ

毛を刈りし羊身も世もあらぬなり

角落ちて詐欺師のやうな貌となる

菜種梅雨漢方薬の匂ひして

蛙鳴く目瞑りてゐてもゐなくても



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「ならぬ」

ゆらめいて風に冷えある若葉かな

春夕焼け人身御供の舟の影

泥深く眠る八十八夜かな

畑打のいつか遠くへ流されて

さびしくてならぬと蝶の来てゐたる

猫の子が信じられない顔をして

義経の舟隠しなる岩燕

花衣ぬぐやきれいに嘘ついて

明け暮れのいづれさびしき鯥五郎

大手毬こでまり風にゆらめいて

若鮎の艶めかしさを手のひらに

陽炎や棺が燃ゆるごとくして

たのしくてならぬと燕翻る

霾や日を欝々と呑み込んで

をかしくてならぬと井守裏返る










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