再生への旅

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zoom RSS 諸行無常の宗旨

<<   作成日時 : 2016/05/16 16:35   >>

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生まれたる仏切なく濡れゐたり 玉宗



今日は興禅寺の釈尊降誕会であった。

天上天下唯我独尊。釈尊の獅子吼不尽なる生まれてきたいのちへの目覚めを戴く因縁である。単に子供を喜ばすためのお祭りではない。明日知れぬ諸行無常の命を戴いているお互いである。

今回もまた倅にも導師をさせた。親にとって子の自立が何よりの孝行でなのであるが、翻って、我々一人一人の人間の人としての自立とは、生老病死の人生の今にまっすぐ学び、今を戴く知恵を身にも心にも行じていくことでなければならんだろう。今だ生を知らず、学ばず、行ぜず、いずくんぞ死を知らんや、学ばんや、行ぜんやである。

人の命の前提条件である生死の理を免れられないお互い。信仰に生きるとは、この生死の事理をまっすぐ受け入れていくことに他ならないのではないか。比べたり、羨ましがったり、捻くれたり、自暴自棄になったり、絶望に沈潜している場合ではなかろうかと思う訳である。

どう生きることがいのちを粗末にせず、後悔のない人生なのであるか、今も、いつも、ここで試されている。諸行無常の宗旨である所以。合掌

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「みせしめ」

金魚売りさほど売る気のないらしく

大海の潮も知らぬ目高かな

金魚より安い目高の哀れなり

みせしめに金魚を飼うて淋しめる

雛罌粟に吹く風なかばいい加減

小筐なす風呂敷ひろげ花菖蒲

藤の花散るや深空に堪えがたく

水葬はみな空を向く花藻かな

小判草信じられない音がして

クレマチス垣根越しなる恋をして

牡丹の未練がましくくづほれて

萱草の花咲き燃えて燻れり

蛇苺この道ゆけば母に合へる



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「下生」

下生せる脇に風来る更衣

生まれたる仏切なく濡れゐたり

象に乗りほとけ来たまふ新樹光

ずぶ濡れのほとけ夕焼に置き去りに

死ぬと言はれて水打つほかはなかりけり

ひとりよりふたり淋しき金魚かな

金魚売り路地を濡らして失せにけり

目高の子蓮の浮葉に来て遊ぶ

補堕落は何処ぞ若葉風吹いて

蒲の穂の影に驚く夜の使ひ

馬鈴薯の花が咲くたび母ゐまさず


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「誰のもの」

パンジーの尻すぼみなる花のかほ

手に負へぬ賑はひにあり花大根

蜘蛛の子の土のものとも草のものとも

虞美人草ゆらゆら城が傾きぬ

俺じゃないやうに金魚を死なしめき

アカシアの咲くといふよりけぶるなり

鴨の子は親のものとも誰のものとも

虹架かる町にいくたび夢違へ

昼寝覚め棺の中と思ひけり

生まれたる陸を追はれて亀の子は










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