再生への旅

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zoom RSS 幻の紫陽花寺

<<   作成日時 : 2016/06/09 17:40   >>

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五月雨てゐるほかはなし今日もまた 玉宗


平成三年に入寺した頃の興禅寺は、境内正面には砂利が敷かれ裏庭は竹藪と放置され草茫々たる枯山水があった。昔使われていた石垣の残骸が転がっていたり、やはり放置された薪小屋が朽ちていた。禅寺の庭というには余りにもお粗末なものであった。
入寺して先ずやったことは境内内外の整理である。正面は草木が少なかったので土を入れた。裏庭は来る日も来る日も草刈り。一通り整理がついたところで庭木を植えようと思い立ったのだが先立つものが手元にない。入寺して直ぐに檀家さんに援助を頼むことも憚れ、例に依って無い智慧を絞った。 

聞けば「紫陽花」は苗も値段が安く、挿し木で容易につき株を増やす事が出来ると云う。単細胞の私は「なんじゃ、それで決まりじゃ!」とばかり、早速、森林組合に紫陽花の苗を二百本買い求めた。紫陽花にもいろいろあることも知らず、安ければいいという代物を買い込んだわけである。よく見る青色の西洋紫陽花を境内を囲むように植え着けた。

御存知のように紫陽花は余り日向に元気よく咲く花ではない。境内正面に植えた紫陽花は夏の日光が容赦なく注いで萎れてばかりいる。見る影もないというものだった。冬になると葉が落ちて茎だけになる。縄で縛っておかないと雪の重さで枝が地を這う。放っておくと結構な高さに成長する逞しさを隠し持っている。剪定すると結構な量の枝が溜まり始末に困る。

二、三年もしないうちに紫陽花は全て比較的木蔭のある裏庭に移植された。あっちに植えたりこっちに植えたり、あっちを引っこ抜き、こっちを引っこ抜きしているうちに紫陽花の数も何故か半分以下になっていた。

そして、ある日、ハタと気がついた。

「紫陽花は木じゃないな。草だよ、これは!」

我ながら画期的発見であったが、それどころじゃない。草も放っておけば手に負えなくなる雑草ではないかと思うようになった。何にしても放っておいたら手に負えなくなるのではあるが・・・・時すでに遅く、俄かに紫陽花が憎らしくなってきた。「紫陽花」の花ことばが「移り気・心変わり・あなたは美しいが冷淡」ということを知ったのもその頃である。内心赤面してしまった。好きな花でもないのだが、「ん〜、なんか言い得て妙」と納得してしまったのを覚えている。

ということで、人に知られぬように紫陽花は有耶無耶のうちに境内から姿を消していった。「あじさい寺」の夢は早々に、人知れず、脆くも挫折したのである。なにやってんだか・・・




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「又の名」

梅雨入りになつたやうだねけふなどは

馬小屋に生み捨てられし昼寝とも

ほとばしる血の祝祭や花柘榴

好き勝手に生きたる朝が焼けてゐる

空を向く花のかんばせ夏衣

ぶた草と呼ばれ育ちぬ又の名を

夏空にうつろなるもの張りつめて

昼過ぎてしまへり蛇も皮を脱ぎ

虹立ちて水面を走る風ありぬ

手応へのなき苛立ちや蠅止まる


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「深さ」

夏鳥に空の深さのありにけり

岬なす日和山より閑古鳥

忍び鳴く山の深さよ不如帰

杣が家の梁の暗さや星鴉

夜鷹啼く月の山巓ありにけり

山に生きる夜の深さや青葉木菟

くろがねのうら淋しさを鴉の子

軽鳬の子の一目散や列なして

大瑠璃や森に深入りしたらしく

韜晦の谷に翡翠見たるのみ

世を倦みて深山鶯聞くばかり

泣くに泣けない遠まなざしの鵜なりけり


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「雨後」

天井の染み見てをりぬ昼寝覚

昼過ぎのうら淋しさよ花擬宝珠

遥けくも聞き止めたる杜鵑

紫陽花の毬地に倒れ雨あがる

佇めば雨後の涼しき風来る

十薬や日蔭育ちのあかるさの

五月雨や死にゆく人の爪を切る

萌え出でし萩の若葉や揺れやまず

下野の雨にけぶれる京鹿子

夏蝶来雨後の小さな水たまり

誰になんと言はれやうとも百合の花



















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