再生への旅

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zoom RSS 人生の秘訣・おのれむなしく生きる

<<   作成日時 : 2016/07/15 16:30   >>

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朝顔や懲りずに生きて今日もまた 玉宗


「みづからを知らむとするは生きるものの定まれるならひなり」

初めて道元禅師のこの言葉に接した時、雲水であった私は、それまで迷いぬいてきた人生の歩みが肯定されたとまでは言わないが、曲りなりにも無駄ではなかったと感じたものだった。お粗末ながらも「自己とは何か?」に拘りながら生きてきたことへのお墨付きを頂いた様な気がしたものである。
 
顧みれば、自己とは何かと自問自答することは、人生とは何か、現実とは何かと問うことに等しかった。
人生、現実、つまり生きている今の実体。そこには私というものに拘っても拘らなくてもなんともない、実に虚しさの極みでもあるようななんともなさ、なるようにしかならないと言い逃れるしかないような、あるがままの世界が展開されているとしか言いようのない私を越えた領域がある。

掛け値なしの、絶対的な世界がある。現実を尊重して生きるとは、そのような事実を受け入れて生きる柔軟さのことを言うようである。柔軟でなければ生きて行けないのが生きるものの定めでもあろう。本来の自己を見据えていきるとは実にそのような命の然らしむるところでなければならない。自己を知り、自己を生きるとまでは誰もが口にするが、正確には自己を忘れることこそが仏弟子の面目でもあろう。それこそが人生を逞しく生き抜いてゆく公然の秘訣なのである。

自己の真の姿を知るものはしなやかで拘るものがない。だからこそ逞しい。糸瓜は糸瓜で、お螻蛄はお螻蛄で、私は私で生きゆくしかないからこその苦難と救済。それはおそらく神様でさえ咎めることはできない存在の条件なのである。自己の内外に輝き影なす鏡のような命の実体。世界は狭くもなければ広くもない。事実はただそうあるだけである。自己を買いかぶらず、見損なわず、あきらめず、いのちの今の灯火を捧げて生きる。自己の灯火の世界。それを覚知し、見極め、灯を自己とし、他己とし、今として歩むこと。人生とはそのような自在性を学ぶ果てしない道程なのである。

(エッセイ集「拝啓、良寛さま」より・一部紹介)




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「ひかり」

暮れなずむ待宵草のさゆれかな

夏座敷どかどかまかり通りけり

河骨や狂気じみたる日の光り

ダリヤ剪る雨後のゆふべとなりにけり

向日葵や空に翳するものもなし

終末へ急ぐでゝ虫かもしれぬ

緑陰へ弥陀のひかりや奥の院

韮咲くや宵の口ゆく人の声

手花火に覆ひかぶさる夜の暈

月光がさはさは烏瓜の花

だれかゆく月の回廊夜の秋


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「夏花」

夏花摘むあの世この世と振り分けて

末怖ろしき糸瓜の花でありにけり

典座より出でてほどなく胡麻の花

茄子の花真面目過ぎても困るなり

ゆふぐれの父あはれなり韮の花

誰もゐぬ浜辺虎杖花さびて

灸花零れて臍が落ちたかと

花南瓜嗤はれてまた強くなる

朝顔やその日暮しのしづけさの

昼顔や呼べど応へぬしづけさの

夕顔や水を打つたるしづけさの



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「青さ」

柿青く未生以前の固さあり

稲の花まぬがれ難き故郷の

雨ながら包を解きし桔梗かな

生き死にの帷蜩鳴きつのる

雨過ぎの空低く舞ふ夏燕

まだ智慧のつかぬ無花果青かりき

木隠れに鳥のやどりす緑雨かな

丈清くグラジオラスの傾ぶきぬ

ものいはぬ喉の渇きやはたゝ神

すてゝこや先の見へたる気楽さの

羽抜鶏改宗以後を溌剌と












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