再生への旅

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zoom RSS 今日の以心伝心・お盆のこころ

<<   作成日時 : 2016/08/14 03:32   >>

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墓洗ふ不肖の弟子でありにけり 玉宗

盆二日目。今日も棚経廻りをする。

以前からお盆は私自身が影絵のように動き回っているようなイメージがある。
お寺やお坊さんの存在意義には様々な批判や意見があるだろうが、お坊さんの立場から言わせて貰えば、少なくともお盆は人さまの為にしなければならないことが社会的にも広く、具体的に示されている三日間ではある。
誤解しないで欲しいのは、私はそれを虚しいとか本義ではないと言っているのではない。仏弟子としての理想、哲学、本質論、それも必要であろう。その同じ軸足で以って、具体的に社会へどれだけの布施行を私自身が実践しているのだろうか。それを言いたいのである。

日盛りの中を歩き回り、時には嘲りをも受けて、人様が望むことにお坊さんとして出来ることを尽くす。私のようなものでも人さまのお役に立てる。そのような思いが私にはある。彼岸と此岸、冥界と現象界の歩哨として、掛け橋として黒子に徹す。寺族共々、名もない影絵のような存在でいいと思っている。

お盆が仏教であるかないか、棚経に意味があるかないか。それはつまり私自身の、いのちへの目覚めが試されているということだ。人を救う?そんなオコガマシイことを期待してはいない。地獄へ落ちるのも極楽へ昇天するのも私一人の問題として引受けているつもりである。無意味と言えば全てが無意味だ。

「鰯の頭も信心から」

私という鰯が生きているのは、自己を越えたいのちへの絶対の信頼があるからこそなのである。本来、生死一如に信じるも信じないもない。それはいのちの宿命であり、事実である。

お盆、棚経。それは限りあるいのちに目覚めた人間の、一つの命の寄り添いのかたちである。



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「六十年」

花蓮濁世の風にゆらぐなり

へろへろの胡瓜も馬となる日かな

翳となるまで夕日を孕みねこじやらし

ゑのころを尻に刺したる茄子の馬

かなかなや日の落つるべくにほひけり

六十年浮かれて踊ることもなく

男ひとり無用を託ち秋簾

いふことをきかぬ南瓜の重さとも

ポケットに合鍵星の流れけり

鹿ねまる教祖を孕みたるごとく

為すことのあるごと秋を灯すなり


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「立ち寄る」

旧盆やしづかに空が明け暮れて

孫の手を借りて仏を迎へたる

仏みなままごとなせる盆供かな

苧殻火に立ち寄る風のありにけり

九十の母を讃へし盆見舞

地のものを地ベたに並べ草の市

生身魂折り目正しく坐しけり

生き死にに手間取るつくつく法師かな

木の実哀しも兄より老いてしまひけり

雁がねの来るころといふ紅のいろ


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「夜の音」

もう二度と叱らぬ父の墓洗ふ

裏よりも表に残る暑さかな

鶏頭の凡その数としてありぬ

コスモスの焦がれて已まぬ風の空

帰るさの眼差し遠き解夏の僧

海が見えぬと土手に上れば秋の風

明日へと空がなだれて秋夕焼

怖ろしき夜を焦がすや鹿火屋守

夜は空を深く閉ざせり生身魂

盆波の寄せては返す夜の音

神々の閨に火を切る稲光









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