再生への旅

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zoom RSS 紅葉且つ散る今日この頃

<<   作成日時 : 2016/09/28 16:14   >>

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秋海棠零るゝやうに咲きにけり 玉宗

境内の紅葉もまだ見頃にはほど遠いがそれでも大風の後の桜落葉やタブの木などの常木落葉、そしてまだ青いままの銀杏落葉などが目に付くようになった。萩の葉の紅葉も未だしだが、花屑がけっこう乱雑を極める。掃き作務も本番へ向けて助走が始まったという感じである。
 
毎月二十七日は永福寺先代住職の月命日逮夜である。寺族共々、逮夜のお勤めをして欠かしたことがない。その先代住職である義父は九十四歳で能登半島地震の二年前に遷化した。九十になっても天気の良い日は竹箒を以って境内の掃き作務に精を出していたものである。そのような先代の姿は町内の皆の目に止まっていたようで、折に触れてその精進さを語ってくれる人に出会う事がある。説教師ではなかったが、明治生まれの謂わば古仏然とした威厳と包容力があった。昔の禅僧は文字通り教外別伝の宗旨を地でいくようなところがあり、お説教が下手でも、日常生活をまっすぐ威儀正しく率先して行じることで潔しとする、といったところがあったように思う。
 
坐禅と作務と托鉢。禅僧はその三つさえできればいい、という教え?を真に享けて、学歴も僧歴も貧ずしい私などは形だけでも後ろ指さされないようにとこころしてきたつもりであるが、さて、先代が今の私にどれほどの評価を与えてくれるものか覚束ない。俳句にうつつを抜かしてお経の勉強も疎かにしているような始末。そんな不肖の弟子を持って草葉の陰で泣いているのではと思う事がしばしばある。わが弟子も又、こんな師匠を目の当たりにして、どのような思いでいることやら。

孫にあたる弟子が今度永福寺への晋山式を修行することになる訳であるが、晋山式という行持に限って言えば、永福寺では先代以来の約80年ぶりということになる。弟子である私は興禅寺で晋山結制をしたが、兼務寺である永福寺ではしていないのである。これもめぐり合わせ。孫が晋山の盛儀を執行すると知って喜ぶ先代の顔が目に浮かぶようである。
 
お坊さんの世界だけではないと思うが、恐ろしくも、有難くも、世代を越えて、繋がるものがある。誤魔化しの利かない「業」といったもの。それを強く感じることがある。それは自分持ちのものではあるが、本来「業」そのもには白黒の色は着いていない。わが「業」を白にするのも、黒にするのも私の生き方次第。よくよく心してこれに過ぎるということはない。住職以外の肩書きもない唯のお坊さんであるが、私は私である以外に私を越える術を知らない。何事も余念を交えず、事に当たり、理に当たり、まっすぐ生きる。それぞれがそれぞれであってなんともない。それをしも成仏とはいう。

弟子はそのような私の姿を見て、良くも悪しくも学ぶところがあろう。あらねばならない。安居修行5年目を続けている弟子。私の初学時代に比べるならば、よほどまっとうな修行をしている。我が子ながら大したものではある。そうではあるが、まとも過ぎて些か不安がないこともない。どのような生き方でも曲りなりであって見えてくるものがあろう。まっとう過ぎても、出来が良すぎても碌なことがない。

自己をあきらめず、見損なわず、侮らず、昂らず、慢心せず、裏表なく、誠実で、然も懐の深い、柔軟性を兼ね備えた先代のようなお坊さんになってほしい。このようなことも人生の晩年、或いは人生の暮秋といった観のある今の私にして初めて見えて来たことではある。

そんなことをつらつら思いながら今日も晋山式の準備に汗を流している師匠ではある。




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「草千里二十句」

ものいはぬ腸あつき素秋かな

右側の靴底ばかり減り暮秋

彼の岸に咲く花なれば遠かりき

死人花鮮烈にして翳りあり

曼珠沙華いよいよ空の情けなさ

桔梗や折り目正しく朝が来て

潜み咲く源平萩といふはこれ

来た道を帰るほかなき芒かな

撫子や愛といふにはいとけなく

葛の花見る影もなき月影の

袖に振る近さにありぬ女郎花

藤袴いつものやうに日の暮れて

夕暮れは半ばなげやりねこじやらし

芋の露包み隠さず零れけり

死ぬる世をだうしたものか星流れ

ふぐりほどのやはき無花果好みけり

捨案山子鳥のみちゆく影もなし

龍淵にそろそろ骨も水漬くころ

千里来し風にさぶらふ草の花

山越えて藁買ひに来る能登暮秋


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「鶏鳴」

露けしや鶏鳴しるきあさぼらけ

雲雀鳴く朝よふるさと捨て難き

ひつぢ田へ海より風の吹き募り

雀らが稲穂の影にぺちゃくちゃと

海原は淋しきところ秋燕

木鶏も叶はず秋の深みかも

めくるめく火宅の灯しつづれさせ

貼り終へし障子明りの中にをり

必死さの些か足りぬ案山子かな

禅堂の静寂を破り威し銃

能登富士にま向かふ松を手入れせし

山寺の鐘の音にも秋澄みて



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「手」

手に負へぬやうにも案山子出来上がり

てのひらに山河あり鳥渡りけり

秋暮れて親指ほどの暗さかな

露けさの人さし指でありにけり

中指のやうな鶏頭かとおもふ

薬指あればあつたで藪枯らし

撫子や小指のやうな女の子

別るゝも会ふも手を振る芒かな

片手間に摘みし間引き菜手に余り

しみじみと手足老いゆく紅葉かな







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