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zoom RSS 今日の自他一如・感動ポルノという現象

<<   作成日時 : 2016/09/10 20:52   >>

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死にたがる母を背負ひぬ実むらさき 玉宗

パラリンピックが始まっている。
障害者への注目が集まっている訳であるが、ここにきて「感動ポルノ」という言葉が一躍脚光を浴びて来た感がある。

ニコニコ大百科で検索すると以下のような解説がなされいていた。

感動ポルノ(原語:Inspiration Porn)とは自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏が作った造語である。この言葉「Inspiration Porn」は、オーストラリアのジャーナリスト兼コメディアンのステラ・ヤング(Stella Young)氏が2012年にウェブマガジン「Ramp Up」の記事「We're not here for your inspiration」(タイトル和訳:「私たちはあなたの感動のために居るんじゃない」)内で使用し、以後広まった言葉である。

簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。氏によれば「あえて『ポルノ』と言っているのは、ある特定の人たちをモノ扱いして他の人が得するようになっているから」としている。健常者の利益や娯楽、感動体験のために障害者を扱っていただけで、そこにいるのは障害者自身ではなく切り貼りされたステレオティピカルな「障害者像」があるだけで、本人の意志とは関係のないところに自分の姿が使われている。

「障害者は可哀そう」といった視点から、「何もできない・うまくいかないからこそ健常者と同じことをしてもらい、達成したことへの感動」といったように善意から障害者を下に見ているといっても差し支えない姿勢が問題になっており、清く正しい障害者としてのイメージを植え付け、感動を押し付けることへの問題点が表面化してきたともいえる。昨今では「障害者の活躍の場」として使われてきた24時間テレビが、障害者を見世物にしているのではないかという批判もあり、感動や悲劇を「演出」している姿勢が批判の対象となっているのである。 以下略



人類の歴史には人生に於ける言われもない差別への糾弾、闘いがあった。今もある。それは人類発生以来のことなのかもしれない。お釈迦さまは出家者を差別することはなかった。解脱することを最終目的とするサンガの存在とは、一人一人がそれぞれの命の深みへ切り込んでゆく「行」を担保する「場」にほかならない。そこには権威や効率や比較や進歩観といったものを本来的に必要としていない。

自己が自己に落着することを以て命題とする宗教の面目が厳然としてあらねばならない。在家と出家の違いとは生きる価値観の土俵の違いでもある。障害者だけではない。健常者を「モノとして」扱い、利用し、自己の欲望に蓋をし、見て見ぬふりをし、買い被り、慢心し、偶像化している自分でないかどうか。悪心にも善心にも傾斜する可能性の中で生きている我らである。無心に、ありのままにいのち生き、今を戴き、自己を受け入れ、他者を受け入れることができるかどうか。

弱者とはなにか。差別とはなにか。平等とはにか。古くて新しい問題ではある。それらの問題解決は人間の欲望界隈の中だけですべて可能だろうか。宗教とは逃避でもあり革新でもある。受け身でもあり捨て身でもある。責任放棄でもあり自己克己でもある。自己責任でもあり百尺竿頭進一歩でもある。分別でもあり無分別でもある。いずれにしても仏道とは自己が解放されていなければ叶うものではあるまい。そのような世界を受け入れる「度量、目覚め」が必要とされるに健常者も障碍者もないものと私などは思っている。

欲望の奴隷と成り下がってしまった万物の霊長ではあるが、一人では生きていけない人間であることに健常者も障碍者もない。個としての尊厳にいきていることに健常者も障碍者もない。それぞれの力量に応じて支え合う「思いやり」を育てて来たのも、人間にある「社会性」という本質、存在の条件の為せるところだったのかもしれないと思う。「自他一如」とは気休めでも、絵空事でもない。現実を見極めればすべてが自己の世界の話であると言っているのである。弱いものいじめや感動ポルノにうつつを抜かしている場合ではない。危うい今のいのちを地に足をつけて誤魔化さず生きているのかどうか。だれもがそれを試されているのではないだろうか。



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「風」

起き伏しに老いの兆しやけふ白露

凝りもせず生きて色なき風の中

さつきから台風の目に睨まれて

雁渡し流るゝ雲の速さにも

鮭颪川波白く遡り

黍嵐巣箱傾げてゆきにけり

鳶ひとりすずろ高舞ふ芋嵐

もんぺ穿く母の帰りを待つ野分

外に出れば敗者のごとし秋の風

頭陀袋壁に窶れて秋湿り

芋の露しづごころなる夢を見き


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「伽藍」

朝霧を脱ぎ始めたる伽藍かな

露けしやご飯ほつこり炊き上がり

仲秋や枕にのこる月の冷え

菜を間引くほかに栓なき世なりけり

丈清く秋明菊の伸び止まず

絶望ともちがふ脱力夕芒

萩に来てぶらさがつたり覗いたり

朝露に陰まで濡らし黒穂抜く

夜霧抜け夜霧に又もぶちあたる

鐘撞いて眠るばかりぞ月浴びて

銀河濃き森の伽藍やけものめき



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「おこぼれ」

必死さの足らぬ雀や秋うらゝ

秋といふ悲喜こもごもの声なりし

吾も亦紅なせる花のいろ

雁が来ると紅なす葉なりけり

誰がなんと云へど背高泡立草

あんなところに咲いてみせたる韮の花

逃げ回る羽の強さよ稲雀

ねこじやらし風を嫌がるふうでもなく

怒る気になれずに間引く菜っ葉かな

おこぼれに与かる稲の雀かな

死ぬる世をだうしたものか秋も暮れ

女体めく神の鹿なり崇めけり

けふなどは蓮の実飛んでもをかしくない

泣く子には勝てぬ蟋蟀黙らせよ


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内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。何かに感動して我を忘れることより、私たち自身をしっかりと地に足をつけさせることの大切さを述べているように思いました。度量と目覚め、他者を批判している場合では無いぞという強い問いかけに思いました。
G
2016/09/10 20:57

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