再生への旅

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zoom RSS 今日の自浄其意・髪を剃る

<<   作成日時 : 2016/10/10 17:52   >>

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草は穂に風は千里をとぶらへり 玉宗


朝晩ひんやりしてきて、火が恋しくなってきた。頭を剃ることも段々億劫になってくる。無精して伸ばしていたら夫人に醜いと指摘されたりする。

お坊さんになって初めて頭髪を剃ったときのことを忘れないでいる。それまでどちらかと言えば長髪であった私にとって、スキンヘッドの感覚もまた初体験であった。得度式を挙げたのは秋であったが、その日の夜は首筋から頭部にかけて涼しくてしようがない。火の気のない部屋で就寝するのだが頭が冷えて中々眠れそうにない。不作法ではあるが、掛け布団を頭にひっ被って眠ったものだった。夏場は夏で、直射日光に晒される為、よく頭皮が剥けたものである。

剃髪は四と九の付く日に剃る。その都度、剃りあげられたツルツル頭は新鮮な空気感に包まれる。お坊さんになって以来、一度も床屋さんに行ったことがなく、安全剃刀で自剃りしている。お蔭で眉毛は手入れしていないので伸び放題。時々、指で引っこ抜いている。最近では、剃った状態では解らないが、伸び始めると眉や頭に白髪が増えたことに愕然としている。年齢より若く見えるとよく言われるが、一般人のように髪を伸ばせば、白髪交じりの紛うことなき初老のおじさんである。

作務するときは手拭や毛糸の帽子を被る。僧堂でも作務僧が手拭を姉さん被りをしているのをご覧になった方も多いだろう。あれは頭部を保護するためのものであるが、合わせて寒さや日焼け対策の効果もある。お坊さんの被りものといえば、法要などで使われる正式なものがあるのだが、作務のとき以外は被り物をするのを私は余り好まない。

髪を剃るということに意義を見出せない人もいるようだが、私自身は髪を剃ることによって曲がりなりにも、そして行ったり来たりしながら仏道そのものに引っ張られて来たような感慨がある。髪を剃るという「作法・かたち」がそのまま仏道の指針であるというような軌跡。どのような道でも、それなりの「作法とかたち」といったものがあろうと思う。自己を律するに他者の存在は欠かせない。仏道が一人の世界で収束するものならば髪を剃るという手間もいらないだろう。平たく言えば、他人の目があるから道を過たず歩くこともできるといのが実際のところでもあろう。

因みに、髪を剃るときに唱える次のような偈文がある。

「剃除鬚髪  当願衆生  永離煩悩  究竟寂滅」

古人は髪を断ずるは愛根を断ずる也と言った。何度も何度も湧く煩悩。それを断じるように、何遍も何遍も髪を剃る。寂滅とは自浄其意の事でもある。出家の本懐がここにある。剃髪とは仏弟子にとって徒や疎かならないものだ。

内実とかたち。内と外。共に自己の全体であり、自己を縛るものではんなく、かたちはあるべき内実を、内実はあるべきかたちを伴う。そして共に自由自在をその本質tしているのではないかな。修行に窮まりなく、道が果てしない所以もまたここにもあるんではないか。要するに生きる力となっているということ。日々の人生の歩みとはどちらかが欠けていてはありない現実がある。

という訳で、元来、面の皮の厚い人間ではあったが、いまでは頭の皮の方が厚くなったのではないかと思っている次第である。




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「風の丈」

さ迷へる風の丈なる千草かな

実むらさき小粒ながらも鈴生りの

杜鵑草花の奥処を差し出して

敷きつめて死出の華やぎ草紅葉

木の実落つ棺の中のしづけさに

日記書く身ほとりに置く林檎かな

藤は実に佇む影もなかりけり

月の出の覚束なさよ秋蛙

ばら撒けるやうに舞ひ立つ稲雀

仏弟子のうら淋しさよ龍淵に



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「肩越し」

峠路の都も近き芒かな

葛の葉の裏吹き返す初嵐

舞ひ上がり野分たのしも鳶の笛

暮れてゆく風の荒びやきりぎりす

鳥渡る仏弟子といふ肩越しに

落ちて来し空また仰ぐ木の実かな

あてのなき風に慄く草の花

チンドン屋釣瓶落としを帰りけり

秋刀魚焼く身はたそがれの興行師

生きながらまなこ暮れゆくもみぢかな

手折りたる野菊を母の供花とせり

拾ひたる団栗を捨てられもせず

面影や花野をひとり歩ましむ

暮れ残るつはぶきの花あかりなる



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「深入り」

菊の香やおねしょの乾くにほひとも

冬眠に向かはむとして轢かれけり

朝に夕に襟を正せり藤袴

つれなき空にともしびなせる柿のいろ

秋の蝶森に深入りしてゆきぬ

典座裏に狸来てゐる寒露かな

蛤となりし雀やちゅと鳴きぬ

帯を巻く後朝律の調べあり

身に入みてわが手に母の山河あり

俯いて腸熱き秋の暮

狼の祭りし月の屍かな





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おはようございます。髪を剃ることがどれだけ大切な形であるかがしみじみと理解できるようです。世間の目がかえって仏道を進ませるというのも、髪を剃るということの不思議な作用の一つだと思いました。とても大切なことなのですね。
G
2016/10/11 07:49

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