再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS もの思う手、考える足

<<   作成日時 : 2016/10/22 19:39   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


くわりんの実無骨ながらも捨て難く  玉宗


もの思う秋だという。

世に考える葦とは西洋からの受け売りである。我思うゆえに我あり、なんていうものまである。まさか人間であるからにはものを思わねばならないといったような義理が秋にある訳でもなかろうが、秋になると自ずからもの思いに耽るひとときが多いということは解る。実際のところは思っても思わなくても、それなりにものごとは諸行無常して今がある。もの思いだけではない。私という存在があっても無くても世界の趨勢には殆どないに等しい影響力ではある。然し、そのような鵺のような代物に左右されやすい存在でもあることを折に触れて痛感もする。もの思い、もうそれはほとんど、存在の前提とでもいうような始末の悪さがあり、人間らしさの中でもとびっきりに抜き難い癖のような代物なのである。たかがもの思い。されどもの思い。
 
「もの思い」は、人類が生き伸びるための特権でもあり、義務でもあり、甘露でもあり、刃でもある。「もののあわれ」と云ったときの「もの」ではなく、「物」一辺倒に成り上がり、或いは成り下がった現代文明。そのような代物を謳歌している人類の断末魔とでも云うべき賑わいがある。それはもう殆ど訳のわからない先行き不透明さである。もの思い、それはどこまで人類の未来を保障するものなのだろうか。

科学という「もの思い」は世界を知るための一つの手段であるが、人間にとって、つまり限りあるいのちにとって、それは全権をゆだねられた手段ではないようにも見える。すべてを科学的に知ったところでどうなんだろう。全知全能の神様なんて、その無聊たるや筆舌に尽くし難く、神であることすら放棄したくなるのではなかろうか。秩序がある。混沌がある。タブーがある。かたちがある。何かがある。何もないかもしれない何かがある。絶望という思いを越えたものがある。規則のようなものがある。それにしても、ものには限度がないのだろうか。そこにはなんらかの神の意志があるのだろうか。

御嶽山が噴火して、季節の移ろいや自然の雄大さ、美しさを讃嘆していた我々に、山の本質、実相の一端を見せてくれた。実に自然は人類に恩恵を与える神の宿りであると共に非情な振るまいを見せる悪魔の帷でもある。科学というもの思いは、儚い存在である人間に、ある意味で人間を越えた永遠の定義を教えてくれるのは確かであるが、然し、御嶽山の噴火自体は科学できるであろうが、噴火そのものは人間の思いを遥かに超えてやってきた。科学と云う名の神話に浸っていた人間は暫しうろたえるしかない。しかし、そんな意地悪な見方をしてみてもはじまらない。自然から学ぶことは尽きない。人はものごとの実相を直見するに耐え得る眼力、体力、脚力、手腕を身につけなければならんのだろう。


考える葦どころではない。考える足、もの思う手を以って、二律相反し、双頭の蛇の如き現実を生き伸びて行かねばならん。実に、人間という代物は逞しいのだか、弱々しいのだか訳が解らん存在ではある。それはもう殆どその自然界と寸分たがわぬ分身のような矛盾した存在なのである。



画像



北国新聞社からわがエッセイ集『拝啓、良寛さま・曲がり真っすぐ禅の道』(定価*1800円+税)が出版されました。


お求めの方は販売元↓へ直接か、アマゾンでお買い求めください。

政策・販売

北国新聞社 〒920−8588 金沢市南町2−1

п@076−260−3587 (出版局直通)

FAX 076−260−3423

https://g.bookwalker.jp/book/item/B16714182/

画像




「驕り」

芋の露もんどりうって零れけり

千尋の谷を越えゆく秋の蝶

てのひらの山河を鳥の渡りけり

とんぼとんぼ明日の見えざるとんぼかな

朝霧を脱ぎ始めたる伽藍かな

永訣の朝露に眉濡らしけり

露けしや家の裏より鶏の声

霊峰を渡れる鷹の驕りかな

愛されずして腸にがき秋刀魚かな

蕎麦刈るや風のさ迷ひ始めけり

破蓮歳月容赦なかりけり





画像



「ごつんどすんばたん」

秋の蜂はち切れさうな日なりけり

秋場所に錦飾りて戻りけり

窓拭いて秋天いよゝ高きかな

放課後の空のつめたさ秋燕

暮れやすき野に彩れる草の花

浮かれ世にごつんと落つるくわりんの実

悪事なしてどすんと落つる釣瓶かな

末枯れやばたんと閉まる勝手口

秋寒くへのへのもへじ日が暮れる

酒を温めるほどの苦労は厭はざる

枕辺に引き寄せ燈火親しめる



画像


「とりとめもなき」

芋の葉もやや子包めるほどとなり

肌寒く人生所在なかりけり

冬近し久闊叙する如くなり

ゆく秋の枕に銭のにほひして

夜寒さのとりとめもなき一人かな

山寺の鐘の音にも秋深く

老い兆す手のひら秋を惜しみけり

投函のポストに凝りし夜露かな

こんな夜は能登の地酒を温めて

長月の夜の深さや屋台の灯



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
もの思う手、考える足 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる