再生への旅

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<<   作成日時 : 2016/11/06 19:38   >>

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石蕗の花やひときは暮れ残り 玉宗

この度の晋山式の前日。夕刻にかけて「配役・本則行茶」という行持があった。
その茶席に於いて後堂の配役に就いて戴いた前総持寺祖院監院・富山市光厳寺住職・今村源宗老師より提唱があった。法戦式に臨むに当たり本則となった従容録より「達磨廓然」の話。達磨と梁の武帝の問答に出て来る「無功徳」「不識」といった道得を解説、敷衍していただ次第。



〔本則〕第2則「達磨廓然」

挙す。梁の武帝、達磨大師に問う。如何是聖諦第一義

磨云く、廓然無聖

帝云く、朕に対する者は誰そ

磨云く、不識

帝契ず。

遂に江を渡って少林に至って面壁九年。




「無功徳」とは功徳がないということではなかろう。功徳を私できないと言っているのである。誤魔化しのできない因果歴然たる法の云為の中でのわれらが行持である。法華を転じ、法華に転ぜられて跡形もなし。「不識」とは認識以前、無分別智の当処を指し示している。それを「廓然無聖」とも言う。私とは私が思うほど聖でもなければ凡でもない。それそのものに過ぎない。そのような貧なる存在の光りが今にある。今の光りがある。仏弟子の面目、修行の醍醐味とはそれで良しとする覚悟がある。行持がある。

だれにも顧みられずとも今を蔑ろにしない修行の醍醐味、仏弟子の面目。今、この一瞬に出会いの光りと影が収斂する。だからこその忽せにできない日々の行事なのであり、日々のいのちの在り様なのでであるということ。
住職と檀信徒との関係に於いてもそれは通じるものである。十年一日、百年一日の如き仏弟子の日々。それもこれも一瞬の出会いに尽力の全てを注いでいる人間のなせるところのもの。それをしも出家者とは言うのである。

われらが行持によりて諸仏の行持現成す。今に光る生き方。凡聖の二見を超えて廓然たる今があるばかり。それは新住職への手向けの覚醒であると共に、宗門人のあり方全般に通じる修行の姿勢であることに今更ながらに気付くのである。



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「音」

綿虫の力いっぱい音もなく

銭浚ふ音して落葉掻きにけり

賽銭を奈落へ抛る音なりし

絶え絶えに鈴ふる音や残る虫

音もなく灯に下りて来る蚊の名残

足音の背中へ落つる釣瓶かな

ポケットに小銭じゃらじゃら鳥渡る

露けさに耳を閉じたる臍の穴

秋の窓辺ピアニッシモの音がして

二の足を踏む音のして神の留守

耳鳴りがしてゐたんだね杜鵑草

冬眠の寝息に星も驚きぬ



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「影」

ひとり引くあはれ暮秋の影長き

儚むにほどよき草の枯れ具合

押し寄せし波あらけなき冬隣

冬帽子風の百日始まりぬ

落ちてゆく釣瓶が見ゆる西の空

ひつぢ田や加賀も南の日を浴びて

枯れてゆく地の明るさのありにけり

嫁が来ぬ家やとびきり末枯れて

綿虫の影より薄く来たりけり

猫の子の驚く木の葉時雨かな


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「ロスタイム」

石蕗の花やひと際暮れ残り

ゆく秋の空に影するものもなし

幾許のわがロスタイム秋の暮

綿虫が視界を出たり入ったり

落葉踏む音にも愁ひあるらしく

仄翳る銀杏紅葉の月夜かな

亀虫を抛り出したる神の留守

薄着すな股引を穿け妻喧しき

風邪ひくな南瓜喰へ母喧しき

隅に置けざる縁者の如き冬が来る










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