再生への旅

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zoom RSS 涅槃のころ

<<   作成日時 : 2017/02/10 16:46   >>

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涅槃団子雪に撒きたる凹みかな 玉宗


如月十五日は釈尊涅槃の日でもあります。
お釈迦様の祥月命日です。僧堂では涅槃会接心を行っているところもあり、坐禅を以って報恩の誠を尽くします。一般のお寺では涅槃会法要を催し、涅槃団子を撒いたりして、釈迦の遺徳に思いを馳せ、お粗末な自己の生き方を新たにする機縁ともなりましょう。仏教徒とはお釈迦様に生き方を習う人間のことでもあります。手本とすべき人生の先達がいることを幸いとしたいものです。

涅槃のころになると、お坊さんの存在価値といったものがあるのかないのか、私という人間の存在価値がるのかないのか、といったことを自問自答するようになります。遺教経という御釈迦様の遺言を読むたびにそのような心理状態に自然となるのです。
 
人間、生きている限り始末に悪いものではありますが、半端ものながらに今を限りのいのちを生きているには違いありません。これはどうしたことか?半端であるとか、ないとか、つまらないとか、つまるとか。偉いとかえらくないとか。そのようなことは仏のいのちをもてあそぶが如き、妄想なのではないでしょうか。ありのままに今を戴いて生きる。それを涅槃に生きるとは言います。信仰をもった人生とは、よそ見をせず、仏と寸分たがわないいのちを生きるということに目覚めた人生のことでもあります。

私が私を生きる。仏が仏を生きる。涅槃が涅槃を生きる。生老病死を生老病死に任せていきる。それが成仏であるということだったのです。いのちお大事に。合掌

二月二十四日午前十一時  永福寺涅槃会

三月十三日午前十時半  興禅寺涅槃会

 




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「風に日に」

白梅や空を見開くやうにして

日を孕み少し憂鬱猫柳

背負ふものなくて淋しき遍路かな

うすらひや夢をうつゝのあやふさの

海原は風の墓場ぞ洲浜草

風に日に三色すみれひるがへり

聖みな山に逃れし菫かな

いかのぼり空を引き摺るやうにして

下萌の土手に上れば明日が見え

朝寝して岸の淋しさ味はへる

つべこべと妻が申すに涅槃西風

恋猫の海を見てまたどこへやら

嵩重く笊に水切る京菜かな



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「うかうかと」

裾を吹く風の捌きも春めきぬ

雪解やときどき母に叱られて

うかうかと生きてまた聞く初音かな

紅梅を嗅ぐに些か背伸びして

佐保姫を背負ひ直して遊ぶなり

死ぬる世に夢見て鳥は雲に入り

人はみなしづかに春を傷ついて

被災十年雪割草の咲くころか

春もまだ浅きわが身の置き処

春来ると縄を解いてあげにけり


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「夢」

涅槃吹く沖はさびしき国境

蒲公英や胸襟ひらくあかるさの

艶なしてなほ仄暗き椿かな

がうがうと裏山渡る雪解風

犬ふぐり見下ろす背なのぬくみあり

正夢にまなこ見開く落椿

ふらここや夢に癒され傷ついて

月に面に影さす雁の別れかな

弔ひの如く白鳥帰りけり

暁の夢のなぎさや鴨帰る






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