再生への旅

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zoom RSS 続・涅槃のころ

<<   作成日時 : 2017/02/13 15:27   >>

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月さして褥明るき涅槃かな 玉宗


釈尊涅槃会を前にして数日間、お寺では逮夜のお勤めで「仏垂般涅槃略説教誡経」、略して「仏遺教経」とか、「遺経」とも呼ばれる経典を礼誦する。地方によっては臨終の枕経に読誦されることがある。釈尊が沙羅双樹の下で涅槃に入られようとされるとき、仏一代の教説を、簡略にまとめられたものであるとされる。原始経典に近いものなのかもしれない。そこには、遺される仏弟子たちへの教え、誡めが切々と述べられている。

即ち、持戒、精進等の六波羅密や苦集滅道の四諦の理を明かし、八大人覚とされる「少欲・知足・遠離・精進・不忘念・禅定・智慧・不戯論」の八項目が懇切に説かれている。欲少なく、足ることを知り、騒がしい所を離れ、つとめはげみ、身心をととのえ、心しずかに、物事の真相を見通し、心を乱す議論をさけるというもの。読誦するたびに冷や汗が出てくる。どれだけ自分はジタバタと騒々しく生きていることだろう。内も外も涅槃寂静とは程遠い娑婆世界の煩悩人であることが恥ずかしい。

自己採点としては、仏弟子としても、お寺さんとしても見事に落第点。こんな仏弟子が住職とは檀家さんも気の毒というものである。「聞いて行かざるは導くものの罪科にはあらず」とは言うものの、いつも涅槃の頃となると、「おまえは仏道の先導役としてのお勤めを果たしているのかい?」、というお釈迦様の声なき声が聞こえてくるのである。

道元禅師様は「生死すなはち涅槃とこころへて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもない」と示され、さらに「ただわが身をも、心をも、はなちわすれて、仏のいえになげいれ、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる、またほかにたずぬることなかれ」というお言葉を遺されている。このような先人の愛語を承るにつけて、半端ながらも心穏やかに仏弟子としての歩み、今を戴くことができる心情になる。ありがたいことである。

釈尊の涅槃から現代にいたるまで面々と伝えられているものがある。末法の世の鈍根劣機の仏弟子として、些かなりともその法恩に応えなければならない。私はどれほどのことを為し得て娑婆世界を旅立つことができるだろうか?涅槃図の穏やかな有り様を目の当たりにするにつけ、そのような思いを新たにする。


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「待つ」

くぐもれる窓の向かうや牡丹雪

明日を待つまなざし遠く残る雪

昨日より今日のあかるさ蕗の薹

待つことに慣れてしまへり鳥雲に

外に出でて遊ぶ風の子雪解の子

ものの芽に待ちくたびれし勢ひあり

うすらひや出稼ぎの父帰るさの

淡雪や二度と来ぬ日を待ち侘びて

人と会はぬ空はうつろに暮れかねて

さよならを待たされてゐる雪間かな



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「一歩」

初午の社に汚れ残る雪

しんがりは意外と気楽鳥雲に

梅の香に出歩くそこら辺りまで

春めくや少しずぶずぶしてをりぬ

擽るやうに岩戸を開く春の風

パンジーがリボンか蝶になりたがり

春愁が花屋の前に来て止まる

時間まで猿の交るを見て過ごし

春風に押され一歩を踏み出しぬ

迂闊なる男見てゐるいかのぼり

魚は氷に餡饅一つ買ひて去る


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「水溜り」

騙されて押されて風の二月かな

明け暮れて春の炬燵よそのままに

田の神を送り送られ春景色

風花の吸ひ込まれゆく水昏く

ぶらんこの下に空ある水溜り

涅槃西風向かうの岸へ渡るとき

落日に影生れけりいぬふぐり

落椿棺の蓋に置くごとし

ものの芽や空をこじ開けやうとして

春灯点けていよいよ憂かりけり

如月の閼伽に仕へし目覚めかな

老人の打たれ強さよ目刺喰ふ

やどかりのころがる磯の潮かな

躓きしものに影あり鳥雲に

斑雪野を来たりてココア所望せり








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