再生への旅

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zoom RSS 今日の現成公案・「北枕」ってどうよ。

<<   作成日時 : 2017/02/22 19:08   >>

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木の芽風枕に涅槃したまへり 玉宗


中陰のお勤めで伺った檀家さんの家でのこと。
伺う度に「聞きたいことがあるんですが」と疑問をぶつけて来る方。悪い気はしない。知ったかぶりでいられるより余程仏道の機縁があるというものだ。今回は「北枕」について尋ねられた。

「北枕って縁起が悪いんですか・・・」という具合である。

私の解釈は次のようなものである。

折しも釈尊涅槃の月である。涅槃図を見ても察せられるように、お釈迦様は右脇を下にしてよこたわっていらっしゃる。私が初めて安居した瑞応寺専門僧堂で教えられたことだが、仏弟子の眠る作法として右脇を下にすることがあった。生理学的にも心臓が上になり圧迫されることがないとか。釈尊の寝姿に習ってのことなのかどうかは忘れてしまった。

でもって、イスラム教徒の礼拝もそうらしいが、西方を向いてするのが決まりらしい。西方と云えば仏教では浄土思想が西方浄土の根源となしていることは誰でも知っているところ。なぜ、西方なのか?日が東から昇り、西に沈むことは古から人類は目の当たりにしている現象である。日の沈む彼方に大いなるものを感じ描いた、人類の想像力がそこにあった。
世の恐怖や生死の向うにある大いなるもの。日の沈む彼方。眠る際に西方浄土を念ずべしという信仰があったのではなかったかな。ということで、眠る際に右脇を下にして西を向くことで、必然的に頭(枕)は北側ということになる。

「北枕は縁起が悪い」という指摘は釈尊の涅槃と繋がって「北枕」イコール「死」という径路ができあがったからだろう。生きている者にとって「死」は確かに忌避したいものの最たるものであろうし、「縁起が悪い」という「弱さ」から生ずる思いも解らないではない。然し、生あるものは「死」も備わっていることはそもそもの存在の前提条件である。そのような本末転倒を言い出すことの方が余程「縁起でもない」と言わざるを得ないのではないのかな。

大体が、「方位」といったものは円環なる地球の巡りからいってもあってないような代物である。どこまで言っても西の果て、極りは存在しない。まさに「極楽浄土」にまみえんが為の「方便」である。「方便」が「涅槃」を「現」じるといった不思議が現象世界にはある。ここが本質であろう。この元を糺すことができれば「北枕は縁起が悪い」といった「煩悩」、つまり脚下の生死に目を瞑る」「命の真相を捻じ曲げる」といったことを避けることができるのではないか。

まあ、大体以上のようなことをかいつまんで檀家さんには説明したことである。



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「雪のにほひ」

慟哭の夜に匂へる涅槃雪

まんさくや山の眠りの覚めぬうち

風にまだ雪のにほひや洲浜草

如月や夢をうつつと覚めてなほ

鶯餅鼻息殺し喰らひけり

死ぬる世をだうしたものかうらゝけし

だうしろといふのか梅も咲きだして

鳥雲に小さくものを畳むとき

エプロンに眩しき風や花ミモザ

雪のあと雨に打たるゝ木の芽かな

牡丹の芽おのれ引き裂くやうにして




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「便り」

一盞の海に掉さし若布刈舟

東風吹かば浦かけ白き波走り

面影は夢まぼろしの落椿

便り待つ眼差し遠く春の海

なけなしの銭の如くに春寒く

マネキンの驚き顔や春二番

銀鱗の沖に澪引く鱵舟

気が付けばぺんぺん草に囲まれて

零さぬやうに鶯餅に口はこぶ

風車売られてすぐに回りけり

石鹸玉光り弾けて失せにけり

古き佳き昭和かぎろひゐたりけり

逃水を追うて捨てたるふるさとよ



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「名」

潮騒の月にざはめく木の芽山

山はみな名を持ち鳥は雲に入り

海峡に潮蠢く木の芽かな

魚は氷に上ると網を繕へり

残されし鴨とも見えて残るなり

音もなく崩れし春の波がしら

跪く女ばかりや海苔を掻く

掻き零したる海苔を浚ひて波引きぬ

猫と生れ罰のごとぐに恋すなり

ものの名を思ひ出せずにあたゝかし









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