再生への旅

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zoom RSS 限界集落という歪み

<<   作成日時 : 2017/03/26 20:31   >>

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天上は大風らしき桜かな 玉宗


先日、あるお葬式に随喜して、故人への弔辞を聞き、輪島という地方においても現代日本社会の抱える今日的問題の縮図を見る思いをしたことである。

故人は86歳の男性で、自らの運転する自動車事故で帰らぬ人となられた。高齢者の自動車事故が全国的に注目されるようになっている昨今。能登半島を縦断する「能登里山海道」においても近年高齢者の事故が多発しているようにも見える。特に数年前から「有料道路」であったのが無料になってからそれが顕著になっているようだ。無料化するには、地元への観光客誘致への目論見もあったのであろう。その恩恵で観光道路の賑わいを呈している一方で、地元の生活道路としても利用されるようになっているのではないか。以前は国道を走っていたのが通勤道路となったのは勿論、高齢者を含む生活道路として気軽に利用されているように見える。本来、有料道路として作られた「里山海道」を走っていると、軽自動車や軽トラック、そして高齢者の運転をよく垣間見る。

今回、交通事故に遭った男性は一般道での事故であった。ハンドル操作を誤ってのことであったそうだ。それにしても普段からよく利用している道での事故である。ちょっとした油断や出会いがしらでのことだったのだろう。
弔辞を読み上げられた方は「老人会」のお仲間。故人を偲ぶ文中、「老人ながらも車を使わざるを得ない苦衷」を吐露したことに思わず耳を聳てたことである。「限界集落」といった言葉も謂われていた。故人の住む地域のことを言っている。能登には所謂「限界集落」が果たして幾つあるものなのか詳らかにしないが、少子高齢化、過疎化の中で暮らす高齢者の已むに已まれぬ自衛の現実、限界集落という社会の歪みがそこに集約されているのではないか。

利便性、生産性、合理性を最優先に突き進んできた戦後日本のツケが地方に回されて今にあるのではないか。そういう意味では福島原発の悲劇も同様である。福島は限界集落どころではない。地方そのものが消滅の危機に瀕しているではないか。

便利さや豊かさと引き換えに失ってしまったものがあろう。不便さや貧しさの中で培われたものがあったのではないか。地方創生、地方再生を叫ぶ政治家もいるようであるが、それは大いに結構なことではあるが、さて彼らの言う創生、再生とは単に都市化のまねごとではないのか。都市と同じ二の舞を犯す愚を繰り返さなければ幸いなことである。地方に学ぶことをせず、置き去りにしてきた中央や都市の改革・再生こそに心血を注いでもらいたいものである。

集落の維持には確かに限界があるだろう。すべて因縁である。撒いて来た種の結果である。それにしてもだ。
地方も都市も人間力再生への取り組みという本質的問題の解決こそが残されているのではなではなかろうか。宗教心とは敢えて言わないが、足ることを知らない人類の破滅を避けようとするなら、私たちは神仏の前でもっと貧しくあるべきではないのかな。自然に対してもっと謙虚であるべきではないのかな。自然の中での自活力、対応力、人間力といったものを取り戻さなくてはなるまい。人間が自然に寄り添うことができなくて、どうして再生が叶うものだろうか。

そのようなことを頻りに考えさせられる昨今の日本風土記の様子である。


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「空や」

空や涯無し雲と流れて風と光りて

囀りに明けゆく空や蒼ざめて

雉鳴いて茜の空やあさぼらけ

宵越しの空や萎えたる茎立菜

便りなき空や馬鈴薯植ゑゆけり

ぶらんこの空や遺書を読むごとし

明日とひらく木の芽の空や只やさし

花とひらくつばめの空や遥かなる

雲雀鳴く空や子どもを差し出せと

日を呑みし空や雁帰るさの

生き死にの果てなる空や朧なる


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