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zoom RSS 生死をあきらめる・「臨床宗教師」という在り方

<<   作成日時 : 2017/03/05 13:14   >>

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死ぬる世を遊び呆けてうららけく 玉宗


「臨床宗教師」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
平成23年の東日本大震災の被災者支援活動の中で育まれて来た宗教者の支援の一つの在り方として宗門の内外から注目されるようになってきている。「臨床」とは「臨終の床」つまり、終末医療の患者への寄り添いを意味している。


公共空間で心のケアを提供する宗教者「臨床宗教師」とは
「臨床宗教師(interfaith chaplain)とは、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者です。「臨床宗教師」という言葉は、欧米の聖職者チャプレインに対応する日本語として、岡部健医師が2012年に提唱しました。「臨床宗教師」は、布教、伝道を目的とせずに、相手の価値観、人生観、信仰を尊重しながら、宗教者としての経験を活かして、苦悩や悲嘆を抱える人びとに寄り添います。さまざまな専門職とチームを組み、宗教者として全存在をかけて、人びとの苦悩や悲嘆に向きあい、かけがえのない物語をあるがままに受けとめ、そこから感じ取られるケア対象者の宗教性を尊重し、「スピリチュアルケア」と「宗教的ケア」を行います。『日本臨床宗教師会 設立趣意書』より


東日本大震災を機に、医師、看護師らによる心のケアと共に、宗教者による被災地支援活動が展開したことをうけて、平成24年から東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座で理論教育と臨床実習を組み合わせた研修が始まり、その後、龍谷大学、鶴見大学、高野山大学、武蔵野大学、種智院大学等の大学機関もこれに取り組んでいます。将来的には新しい専門職として心のケアを実践するために、資格認定制度を確立することを視野にいれちます。
東北大学大学院での研修は3ヶ月間の座学と実習で修了となり、その後はフオローアップ研修で学びを継続します。(以上は全国曹洞宗青年会機関紙『SOUSEI 2017.2No.176』より抜粋』)


同号には東日本震災以来、被災者支援の現場で奮闘し、学び、寄り添い、臨床宗教師への道を模索し続けてきた宮城県通大寺住職・金田諦應老師の『臨床の宗教』と題した寄稿文が載せられている。その一部を紹介する。

『臨床宗教師の活動は「自他」の境界線を越える作業である。「場」は悲しみを引き寄せる「磁場」ともなり、そして「慈場」へと変化する。然し「慈場」は同時に「悲場」なのだ。「慈悲」は厳しい言葉。切に他を想う心は、同じ強さで己に返る。そこから「覚悟」が問われ、その覚悟を支える「戒律」が命の奥から湧き起る。揺れ動く現場からは、常に自己の信仰が問われ続けるのだ。信仰は、問いと答えが循環する事によって深まっていく。これが臨床に於ける宗教者の姿であり、臨床宗教師の最も肝心な部分である。

釈尊の「四門出遊」は、「自」よりも「他」への問であった。全ての始まりは「慈」である。「慈」は全ての修行を回転させる力。私たちは正身端坐する時、現前に広がる苦悩の世界を感じ取る「感性」を養わなければならない。
衆生は無辺であり、そして無辺の苦しみを抱えながら生き続ける。私たち宗教者は、常に現場から立ち上げってくる言葉に耳を傾け、応答しなければならないのだ。宗教者には安全な場所はない。宗教者には嵐がよく似合うのだ。  以下略』



私は嘗てこのような仏弟子からの腸の声を聴いたことがない。震災は確かに老師の身も心も魂も揺さぶったのには違いない。そこからの歩み、学び、目覚め。仏弟子の面目、本懐を語る老師には生死一如に生きる静謐さがある。

「生をあきらめ、死をあきらむるは仏家一大事の因縁なり」とは高祖の諭されるところ。生死一如の命を生き、生かされている我らである。生だけではなく死をもわが掌中として今、ここを戴くことへの自ずからなる内省と不断なる誓願力。

いずれにしても生死の自己決着が試されているのが仏弟子の現場である。面目である。本懐である。「宗教者には安全な場所はない。宗教者には嵐がよく似合う。」という師の言葉に強く共感するが、自ら嵐の中へ飛び込んでゆく意気込みもない。できることなら、与えられたところで、一輪の花を咲かせることに人生を賭けるのもわるくはないと今、ここに居座っている怠惰な私がいる。恥ずかしいことではある。



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「働く」

蕨餅喰うて京都に別れけり

秋篠寺へ三味線草を鳴らしつゝ

ありふれし春の夢さへ遠かりき

如月の襟元こころ細くして

三月の風に潮の香はるけくも

朝寝して生きた心地がしてならず

雨に濡れ木漏れ日に濡れ春子榾

蒲公英や働かぬ日の気楽さの

身を引いて置き所なき遅日かな

いぬふぐり額に汗し働けと

腸を踏む音のして春落葉


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「調べ」

朝寝してお天道様に顔向けが

初音きく項も寒きあさぼらけ

耕人の背なにあかるき鳥のこゑ

肩凝りの妻へ梅見に行かぬかと

流れゆく霞に山の調べあり

啓蟄や風にさ揺らぐ草の丈

春遅々と由なしごとに明け暮れて

春潮の調べも古りし月の浦

ひた寄する波にまかせて若布刈舟

山襞に窶れて汚れ残る雪

水浸きたる春田や光り鏤めて




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春の陽に 歓び知りぬ 病得て
洗濯物 干すこと できるぞ
Jigme Yonten
2017/03/06 19:45

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