再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 神も仏もない世界・東日本大震災から6年

<<   作成日時 : 2017/03/10 18:29   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


茎立菜臨時停車の窓辺より 玉宗

震災の惨状に対して「神もほとけもないのか」といった天地を呪詛する声があった。
東日本大震災でもまた同様の思いをなさった方々が多くいることであろう。大なり小なり、人生には目を覆いたくなる事件事故、天災人災に遭遇することがある。身に覚えのない災難、果報、巡り合わせ、因果応報といった事象がある。それは本人にとって理解を越えた、受け入れがたい現実であることが多い。

私は能登半島地震に遭って、「神仏の存在」より「災害に遭うこと、それもまた縁である」と実感したものだった。被災以前から少しづつ思い知らされていた現実の真相。その総仕上げのような被災体験だった。私の思いを遥かに超えた「巡り合せの妙」といったことに強く思い知らされたものである。災害に遭うことも、遭わないことも、すべて「縁」であり、本来的に「選べないもの」である。選べないからこそ、それは人生の一大事なのであり、宝なのである。生きるとは畢竟、そのような様々な、善悪を越えて、縦横無尽な、永遠の様相を呈している「今、ここという縁を活かし、生きる」ことに他ならないと思い知らされたものだ。

「神も仏もないのか」そう言いたくなる人間の弱さを私は嗤うつもりなど更々ない。そうではあるが、被災したものにとって「神の存在」を疑う以上に「自己に都合のいい神の存在」をきれいさっぱり諦めた方が余程再生の力のなるのではないのか。思い返せば私自身の再生の日々というものも、現実から目を背けない勇気が試されていたのだった。

誰になんと言われようと、それは生きている人間の言い草に過ぎないと云われようと、生きている限りは再生し続けなければならない。人は何度となく痛い目に遭ってそのような現実、人生を逍遥として受け入れる絶望と知恵を学ぶのではなかろうか。地に倒れ、空に倒れ、海に倒れ、自に倒れ、他に倒れ、生に倒れ、死に倒れる人間。そしてその倒れたところからしか立ち上がれない人間。

屍の上に立って生きる。それは人間の宿命である。少しも恥じ入ることはない。神様だってそれを咎めることはできないだろう。誰が無念に死んでいった者達を再生させることができるだろうか。誰が死者の志を継いで生きているだろうか。私の無念、葬られた私の志。私は私を再生したかった。いのちの広大さ、深さ、豊かさを取り戻さなければならない。

東日本大震災の被災者の皆さん。時に情け容赦のない故郷の山河でもありますが、時に何よりも深く豊かに人間を抱きかかえてくれる故郷の山河でもあります。どうか、あきらめず故郷を信じ、本来の自己を取り戻して下さい。合掌。



画像


「とてもとても」

鶯の初音仄かにまぎれなく

とてもとても人には云へぬ春の夢

大の字に眠れば雲よ春堤

春火鉢あるに任せて依りもせず

春の風邪侮る吾子を叱りけり

落第しこれみよがしの空があり

波の間に声なく沈む雛かな

雁風呂や父が死んだる海見えて

伊勢参り叶はぬ母の嘆きかな

春愁や風に晒され色褪せて


画像



「茶屋」

伸び切つて空に貼りつく凧の糸

女傘東茶屋街春しぐれ

春雷に浮かび上がりし夜の向かう

虫出しの雷に驚く臍の穴

春の雹沓脱ぎ石に弾けをり

春の虹霧と流れて消え去りぬ

逢ひたくてならぬと春の川べりを

白妙にうち寄す春の波がしら

空吠えて遠くの山に残る雪

海苔を掻く母が遠くにまぎれなく

まなこ冷え日向恋しき梅見茶屋

風車父のなき子に持たせやる

しゃぼん玉吹くには夢がなさすぎて


画像


「色褪せ」

笹を吹く風の音にも春寒く

ものの芽と知れる長さの影を引き

恨む気になれず耕し始めけり

始まりは何かの終り草青む

うすらひや夢色褪せてさぶらへる

喰らふべき夢は何処ぞ春の風

蓬摘む母色褪せて淋しかりけり

さよならに慣れてしまへり春夕焼

春の宵まぬがれ難くありにけり

千里来し風に慄く菫かな

蓮華草抱けば泣き止む子なりけり









テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
神も仏もない世界・東日本大震災から6年 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる