再生への旅

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zoom RSS 拝啓、良寛さま  「生きながら死ぬ妙法」

<<   作成日時 : 2017/03/21 12:52   >>

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聖みな山に隠れし菫かな 玉宗
       
拝啓、良寛さま。

良寛さまが七十一歳の時に新潟で大地震が起きました。三条付近は大きな被害に見まわれたとあります。良寛さまは友人の山田杜皐さんを励ますために手紙を書きましたが、その中に、現代人もよく知っている次の一節があります。

『災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候』



能登半島地震に被災してからこの十年。生まれて以来の六十年と同様の夢まぼろしの如くです。ふり返ればあってなきが如き有様ですが、その時その折の出会い、学びがあったのには相違なく、そのなかには今回の地震のような痛い目に遭うことも少なからずあったわけです。その都度骨身に滲みて自然界の本性を知らされたということなのですが、喉元過ぎて熱さ忘れるといった愚かさを繰り返しているようでもあり、この十年、否、六十年の人生の歩みを顧みては、なにもかもが変わってしまったようでもあり、なにも変わっていないようにも思えてなりません。自然の本性以上にわが身わが心の本性を目の当たりにして生きているとも言えます。様々な縁から何を学んで今に至ってきたのか。われながら忸怩たる思いです。

わが思いを越えてやってきた能登半島地震。痛い目にあって気付かされた人生、いのち、存在の不思議。震災は確かに私のこころも揺さぶりました。震災後十年の歩みとは自己再生の歩みにほかなりません。なんのために生れ、生きているのか。仏弟子として生きる意義とは何なのか。お寺とはだれのものなのか。震災後、自ずから湧き出た自問自答です。その答えを曲がりなりにも、お粗末ながらも、性懲りもせず試し続けて今があります。私は私を再生したかったのです。私を見捨てることができませんでした。生れてからこのかた死ぬまで人生は学びの旅です。復興の本質は災害という出会いから何を学び、今に活かしているかが試されているのではないでしょうか。

 再生の歩み、そこには道程でありながらも、「行」という目的、到達地点そのものの充足であるかのような「今」の様子がありました。思えば、震災に遭っても遭わなくても、いのちはいつも、あるがままであったのだし、「今」という大きな「縁」の真っただ中ではあったのです。むさぼることも、避けることもいらない、いつも「今」を限りの生老病死なのであるということ。いつも「今」を限りと力をつくす。真心は本来そのような「今」にしか通じないものではなかろうかと思うようになりました。あきらめず、むさぼらず、ありのままの自己の世界に寄り添うことができなくて、どうして他者に折り合い、寄り添うことができるでしょうか。 

存在の前提には、先をあてにしたり侮ったり、後を引き摺ったり悔んだりすることは本来的に予定されてはいません。あるがままに、なにがあってもなくても、よそ見をせず、まっすぐに自己のいのちをいただく。諸行無常の人生を受け入れ、流れに掉さして生きる。そこに魂の救済、浄土がある。安寧がある。仏道の理想とはそのようなものではなかろうかと思っています。

良寛さまは、何が起きるか分からない人生を、あるがままに、抗うことなく、執着せず、欲に絆されず、淡々と生きる覚悟を静かに語られました。生きながら死ぬ妙法とてどいうべきものを教えてくださっています。その生きざまは社会的には無能な人間に映っていたのかもしれません。小賢しさや作為を超えたありのままという無為の道。社会の毀誉褒貶に関わらないことが「内」なる受け身の為せる業であることを理解している人は、今も昔も少ないのかもしれません。死を逃れられない人生に於いて、「逃れたい」という貪りがあります。人生に於ける災難からの受け身。その対処法を「内」と「外」のどちらに体重をかけて生きてゆくのか。良寛さまはそれを問うているのかもしれませんね

今、ここに生きている、いのち、縁を大事に。合掌


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「餅」

牡丹餅の丸みに春の恨みあり

桜餅仏の母のお下がりの

言はれたるまゝに鶯餅を食ふ

餅搗けばあれよあれよと草の色

春愁がいちご大福見てをりぬ

薺咲く誰もかまつてくれぬから

川底に煙る真水や子持鯊

谷底に雪の香りや辛夷

誰とでも話せる三色菫かな

山里のこれよりひらけ桃の花

汝は捨子今年生れし猫なれど



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「指」

親指のなくて叶はぬ遍路かな

人さし指は哀しき指ぞ鳥曇

アスパラガス中指ほどの大きさの

春場所の横綱にある薬指

小指なき男に貰ふ目刺かな

亀鳴くや指切りげんまん嘘ばかり

たんぽぽや掌ひらくあかるさの

爪の垢花とひらきし薺かな

鳥雲に近くて遠き足の裏

春愁の臍に胡麻あるをかしさよ

耳垢のそれは大きなお中日



「年」

一日が永久のごとくに春の宵

鳥雲に角質削りゐたる間も

一年はまるで裏道陽炎へる

お中日赤飯に胡麻ふりかけて

十年が泡と消えたり春の空

茶箪笥に日のあたりゐてあたたかし

百年を沖の如くに霞むなり

歯朶萌ゆる闇を秘めたるあかるさの

千年は夢まぼろしぞ落椿

名誉とは縁なき暮らし黄砂降る

万年は殆んど神話亀の鳴く








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